大分県豊後高田市
むかし、大分県豊後高田市から国東半島の中央方向をむいて撮った写真です。どんよりとくもった日の夕ぐれ。
前回の記事で、大分県豊後高田市大岩屋にある応暦寺の『堂の迫摩崖仏』についてご紹介しました。堂の迫摩崖仏からさらに50mほど山をのぼっていくと、応暦寺 奥の院があります。 2020年9月26日時点では、この石段はとても荒れており、ところどころ、土砂でう…
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.594593,131.5234833 応暦寺本堂の裏側に、奥の院へとつづく山道がつづきます。その参道の途中…右側の岩壁に「堂の迫磨崖仏」が彫られています。本堂から宮の迫磨崖仏までの距離は、直線で約210mです。 途中に六所大…
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.5949974,131.5232086 応暦寺の裏山に六所大権現がまつられており、さらに、六所大権現よりも山奥にはいったところに六所大権現の奥の院があります。その奥の院ふきんにまつられていた、石仏龕(せきぶつがん)です…
場所: 大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.5928774,131.5249769 応暦寺の境内に祀られている五輪塔です。 大分県の国東市で生まれた"ペトロ岐部"氏によって国東半島にキリスト教がもたらされました。 "ペトロ岐部"氏の生きていた時代は キリスト教徒への弾…
応暦寺の一石五輪塔で、五輪塔の元となる形をなしているとされるので「祖形五輪塔」ともいわれます。鎌倉時代作とされます( 『国東半島の石造美術(酒井冨蔵著)』112ページ参照) 場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.5928774,131.5249769
大分県豊後高田市大岩屋の応暦寺境内に祀られています。 座標値:33.5928847,131.5249689 太子が16才の頃を模した像で、南北朝時代作とされています。仏像と同じように太子が信仰されていたことがわかります。
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.592852,131.524978 応暦寺境内に建てられているお堂に、子安観音様とおおくの観音様がまつられていました。子安観音様は子授け、安産、育児のまもり観音として古くから慕われています。 ↑こちらが子安観音様がまつ…
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.592862,131.524996 応暦寺の境内に子安観音堂がたてられています。このお堂の前を二基の石造仁王像がまもっています。仁王像はとても異様な形態をしています。肋骨が浮き出し、腹がふくれ、両腕の太さにくらべて両…
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.591457,131.524687 真玉川のそばの杉林のなかに石塔群が祀られています。そのうちのひとつが、この石祠内にまつられる石仏です。国東半島各所に祀られる弘法大師かもしれません。
場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.591457,131.524687 大分県豊後高田市の大岩屋という地区を真玉川がながれています。その真玉川そばの杉林内に、上のような石塔群がまつられています。上の写真だと一番手前の石塔が庚申塔です。 この石塔群へは、「…
真玉川沿いの土手に、たくさんの彼岸花がさいていました。みごとです。 場所:大分県豊後高田市中真玉 座標値:33.5962556,131.4946625 紅い彼岸花のなかに、ぽつりぽつりと白い彼岸花がさいていました。田園のひろがる、のどかな場所にあり、場所の雰囲気と…
前回(2020年9月21日)の記事でご紹介した庚申塔は、石塔群の一基であることをご紹介しました。小林幸弘氏のホームページ『国東半島の庚申塔-13057-』を参照すると、これらの石塔群は”いずれも庚申塔と伝えられている”ということです。 わたしは気づかなかっ…
大分県 国東半島の庚申塔を調査しつづけておられる小林幸弘氏が運営されるホームページ『国東半島の庚申塔』。こちらで紹介されている庚申塔をめぐってみました。今回は、豊後高田市の上香々地にある山王宮です。 参照:『国東半島の庚申塔-豊後高田市香々地…
久しぶりに大分県 国東(くにさき)半島へ庚申塔(こうしんとう)をさがしに訪問しました。その際に、豊後高田市の上香々地(かかじ)という地区にある日枝神社をおとずれました。日枝神社境内で、写真のようなとても国東らしい素朴な印象をうける仁王像にで…
大分県豊後高田市田染(たしぶ)には「田染荘小崎の奥」とよばれる地域があります。ここは空木(うつぎ)と小藤(おふじ)という2つの地区から成ります。この地区に西暦722年から厚く信仰される奥愛宕(おくあたご)社があります。 2016年4月10日に、一度、…
薬師堂の前をまもっている小さな仁王像です。建立年月などの銘は確認できませんでした。 両田横穴古墳の穴の中に祀られている庚申塔を訪ねたとき、この仁王像に出逢うことができました。両田横穴古墳のとなりに薬師堂があり、この薬師堂の参道両側をこれらの…
場所:大分県豊後高田市呉崎座標値:33.577227,131.447906 産土(うぶすな)神社境内に祀られる猿田彦大神の文字庚申塔。拝殿にむかって右奥に庚申塔は祀られていました。神社拝殿周囲は雑草がボウボウとなって膝高ほどになっていました。草をかきわけながら…
大分県 宇佐神宮の荘園であった田染荘(たしぶのしょう)ちかくの地域である相原。相原にある両田横穴古墳のなかに庚申塔が祀られています。主尊は一面六臂の青面金剛(しょうめんこんごう)。両脇にニ童子がひかえます。 場所:大分県豊後高田市田染相原 座…
大分県豊後高田市の上野部という地区にある善幸寺。このお寺の山門をくぐって境内にはいると、左側にたくさんの石塔や石仏とともに庚申塔がまつられていることがわかります。 場所:大分県豊後高田市上野部座標値:33.555951,131.462722 庚申塔にきざまれる…
大分県 国東半島の中央部から、やや西よりの地域に豊後高田市加礼川という地区があります。この地区に大年神社があり、神社の南西約100m地点に庚申塔が祀られています。少しだけ山のなかに入った場所に祀られているために、やや見つけにくいです。 場所:大…
場所:大分県豊後高田市夷 座標値:33.6181811,131.5575229 六所権現社境内にある夷社ちかくにある石祠です。おそらく昔はもっと祠のまわりにも土があったのでしょうが、長い年月をかけて土砂が雨に流されたのでしょう。 ガッチリと岩をつつみこんだ樹の根が…
場所:大分県豊後高田市夷 六所権現社境内 座標値:33.617868,131.557129 大分県 国東半島にある霊仙寺(れいせんじ)から東へ約150mいった場所に六所権現社があります。この六所権現社鳥居をくぐりすぐ右側の岩壁に、上のような三基の磨崖仏が彫られていま…
場所:大分県豊後高田市夷 座標値:33.6182074,131.5575638 六所神社境内の夷社ちかくの祠です。大分県の風景は驚きをあたえてくれることが多いです。
2016年4月9日にであった、とても印象深い庚申塔をご紹介します。この庚申塔との出会いが印象にのこったのは、庚申塔がまつられている場所が桃源郷のような場所だったからです。 空木(うつぎ)の庚申塔 場所:大分県豊後高田市田染小崎空木 座標値:33.50442…
2011年8月7日に、大分県杵築市から豊後高田市へとぬける山道を車で走っていると、豊後高田市田染の平野という場所で、このような看板をみることができました。 「福寿寺磨崖国東塔」と書かれた看板です。2011年当時のわたしは国東半島を巡りはじめたころで、…
六郷山と田染荘遺跡(櫻井成昭著)P.67-70を拝読していて、大分県豊後高田市にある熊野磨崖仏についての「こういった見かたがあるのか」という発見がありました。 その発見とは熊野磨崖仏が岩壁に刻まれている、その姿自体が神仏習合(しんぶつしゅうごう)…
大分県豊後高田市の田染(たしぶ)では縄文時代からヒトが定住し、弥生時代には稲の栽培がおこなわれていました。 上の地図は大分県豊後高田市田染という地区を示したものです。田染地区のなかに、大門という地区があります。ここは桂川沿いの自然堤防上とな…
大分県の国東(くにさき)半島では夏季、降水量がすくなく、さらに、半島では急こう配の河川がおおいこともあり水の確保が困難となっています。河川が急こう配であると、河川流域にじゅうぶんな水を供給しにくいのですね。 そんな国東半島を地形図でながめて…
場所:大分県豊後高田市田染真中およその座標値:33.508943,131.5124472011.10.25撮影 うそつき岩 うそつきがここを通ろうとすると、頭の上の岩がぐらつき落ちてきそうになるといいます。穴井戸観音のまつられる洞窟前にあります。