福岡県北九州市
野面(のぶ)古墳まえにまつられる馬頭観音さまです。 場所:福岡県北九州市八幡西区野面2丁目 座標値:33.7821592,130.7385898 周囲には他にも、日切観音、子安観音、不動明王などふるい石仏がまつられます。野面集落各所にまつられていた石仏がここに集めら…
北九州市八幡西区の野面(のぶ)2丁目に、むかし学校があったという場所があります。その情報が掲載されていたのが、いつもお世話になっている『北九州歴史散歩 筑前編』のP.125です。 場所:福岡県北九州市八幡西区野面 座標値:33.782349,130.739028 実は…
福岡県北九州市の洞海湾(どうかいわん)にかつて中ノ島という小島がありました。現在でいうと若戸大橋の中央部下あたりです。 大型船航行が活発になるにつれ、とうとう島は削られることになりました。昭和14年10月から昭和15年12月の工事で、島は完全になく…
2020年12月31日、福岡県北九州市小倉南区・直方市・田川郡にまたがる福智山(ふくちやま:900.6m)にのぼりました。経路は上野登山口-上野越ルートです。 31日時点での山頂付近の積雪は約3㎝です。下山する際にはつもった雪で滑ることがおおかったために、軽…
福岡県北九州市の若松区に、小石観音寺というお寺があります。お寺の外観はとてもきれいで、比較的あたらしい寺院のようにみえます。しかし、このお寺の歴史はふるくて、1185年(寿永4年)にはじめ建てられたとされています。 1185年の壇ノ浦の戦いでやぶれ…
福岡県北九州市の八幡西区に「畑貯水池」とよばれる大きな溜池があります。貯水池といっても見た目はダムです。 戦前、八幡市にたくさんの工場がつくられはじめ、工場につとめる人々が八幡市に集中して住むようになりました。工場用水と、住民用の飲料水を確…
前回の記事では、北九州市若松区の石峰山に残る「電波標定機基礎」のことについてご紹介しました。今回の記事では、電波標定機基礎がある地点から南南東へ約400mいった場所にのこる「七糎(センチ)高射砲陣地跡」についてご紹介します。 おおよその位置を、…
福岡県北九州市若松区に標高302.5mの石峰山(いしみねやま)があります。その石峰山山頂から西北西へ約720mいった地点に、これまた標高233mほどの、ちいさな峰があります。下の地形図で示すと地点①の場所です。 この地点①に、電波標定機…つまり火器をさがし…
以前から『北九州歴史散歩』の「豊前編」を拝読しながら、北九州市の史跡をめぐっていました。わたしの趣味にどはまりの書籍で、ここしばらくお世話になっておりました。 2020年12月5日に『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』が発行され…
前回の記事にひきつづき、福岡県北九州市小倉北区に、江戸時代からのこっている道沿いに祀られている庚申塔のことについてかいていきたいと思います。今回の記事で、このシリーズは最後です。 小倉北区の三萩野(みはぎの)という地区のちかくに、江戸時代か…
福岡県北九州市の小倉北区に三萩野(みはぎの)という場所があります。この場所ふきんには江戸時代に集落があり、その集落の中央部を細い道がとおっていました。その細い道は現在(2020年)も残っています。 上の写真が江戸時代から残っている道で、やはり昔…
福岡県北九州市小倉北区に”片野”という地区があります。地図上でみると、現在、片野は市街地のなかの一角です。大正時代のふるい地図をみてみると、”片野”周辺は田んぼがひろがっており、集落が南西から北東へむかって細長くできているのがわかります。 参照…
こちらの写真は、江戸時代に整備された長崎街道沿いにある宿屋の内部を撮影したものです。長崎街道は、豊前国小倉(北九州市小倉北区)から、肥前国長崎(長崎県長崎市)へとのびる街道です。 宿屋のなまえは「立場茶屋 銀杏屋(たてばぢゃや いちょうや)」で…
福岡県北九州市門司区の大里(だいり)という場所に、矢筈山(やはずやま)という標高266mの山があります。この山頂に明治時代につくられた戦争史跡がのこされていると聞き、いってみることにしました。 その戦争史跡とは、敵が関門海峡に侵入してくるのをふ…
北九州市若松区に蜑住(あまずみ)という地区があります。地図をみると蜑住の北側2.2㎞には響灘(ひびきなだ)がひろがり、さらに南東約5㎞には洞海湾(どうかいわん)という湾があります。そして蜑住の南西約3㎞には遠賀川がながれています。 ずっと以前は…
福岡県北九州市若松区本町南海岸通り 毎年、たのしみにしている若松区のイルミネーションです。規模は小さいけど、人がすくないのでゆっくり冬の雰囲気をたのしめます。 古河鉱業若松ビルは、どういう歴史をもつ建物なのか気になっていました。東京を拠点に…
福岡県北九州市若松区の北東部に赤崎という地区があります。むかし北九州市若松区がまだ若松市であった時代、このふきんはまだ埋め立てられていませんでした。 そして地点(33.919702,130.786896)、地名として”福岡県北九州市若松区赤崎町”の場所は、小石が…
場所:福岡県北九州市若松区頓田 座標値:33.908744,130.730201 北九州市若松区に”頓田(とんだ)貯水池”というおおきな池があります。わたしがまだ小学生だったころ、この池でも魚つりは禁止ではなく、日曜日なんかにはたくさんの釣り人がいた記憶がありま…
場所:福岡県北九州市若松区有毛 夜の岩屋海水浴場です。肉眼では月明りで浜辺はあかるくみえてもカメラのファインダーごしでは真っ暗な海です。 ライブビューだと、沖の漁船の灯りに手動でピントを合わせることができました。手探りで何十枚も撮影したうち…
場所:福岡県北九州市若松区乙丸(おとまる) 北九州市に乙丸(おとまる)という名前の地区があります。乙丸の北西部分は響灘(ひびきなだ)と面していて、写真のように砂浜がひろがっています。Googleの衛星写真で確認してみると、この砂浜は約2㎞。砂浜の…
福岡県北九州市門司区に「旧桜隧道(きゅうさくらずいどう)」と呼ばれる古いトンネルがあります。この隧道は「櫻峠(さくらとうげ)」という険しい峠道のすこし西側にとおっています。 場所:福岡県北九州市門司区大字黒川 座標値:33.934531,130.972193 『…
前回の記事までは、猿喰(さるはみ)湾の入り口につくられた堤防や、その堤防にもうけられた潮抜き穴(樋門:ひもん)、樋門から南西へ約420mの地点にある厳島神社についてご紹介しました。 今回の記事では猿喰新田ができる前の猿喰湾時代に、湾の奥につくら…
前回の記事までは、猿喰(さるはみ)湾の入り口につくられた堤防や、その堤防にもうけられた潮抜き穴(樋門:ひもん)についてご紹介しました。元庄屋の石原宗祐(いしはらそうゆう)が考えた樋門のしくみにより、猿喰湾内の海水がとりだされました。 海水が…
前回の記事では、猿喰湾の入り口ふきんに、こんな感じで堤防を築いたのではないか…というところまでご紹介しました。 この堤防の数か所に、湾内にはいりこんだ海水をとりのぞくための穴をあけました。その穴が、こちら↓の潮抜き穴です。 堤防の上から、どん…
福岡県北九州市の門司区の東側。岳ノ鼻という岬の南側に、猿喰(さるはみ)という地区があります。この地区は湾になっていて海に面した土地に平らな水田がひろがっています。 地形図をながめてみると猿喰という地区の水田は丘陵地にかこまれている平地につく…
2020年現在、福岡県北九州市には7つの区があります。門司区、若松区、戸畑区、小倉北区、小倉南区、八幡東区、八幡西区です。これら7つの区は、1963年(昭和38年)まで存在していた門司市、小倉市、若松市、八幡市、戸畑市という5つの市が合併したことにより…
わたしの記憶のなかで、わたしが実際に寝台列車をみたのはこれがはじめてです。もちろん寝台列車にのったこともありません。でも小さいころ、たしか『ブルートレインさくらごう』(砂田 弘著)を読んで「寝台列車にのって列車のなかで夜をすごしてみたいな……
西鉄北九州線は2000年(平成12年)までにぜんぶ廃止されました。その線路跡がいまどうなっているのか、たどってみました。昨日に投稿した記事(西鉄北九州線跡をたどる その①『折尾停留所跡』)のつづきです。 約20年経過した「西鉄北九州線-北九州本線-跡」…
西鉄北九州線は2000年(平成12年)までにぜんぶ廃止されました。その線路跡がいまどうなっているのか、たどってみました。 上図の点線は西鉄北九州線の一部、北九州本線です。北九州本線は、北九州市八幡西区の「折尾駅-黒崎駅」間をはしっていました。 西鉄…
大分県玖珠郡九重町から、熊本県阿蘇郡小国町までを結んでいた宮原線。 廃線跡をたどったことがありますが、どんな車両が走っていたのかみたことがありませんでした。 宮原線をはしっていたキハ0741を九州鉄道記念館でみることができました。 場所:福岡県北…