2020年9月に、大分県の国東半島(くにさきはんとう)にある山王宮を訪問しました。その際、庚申塔を参拝し、これを記事にしました。
2020年に訪れたときは、山王宮の境内には雑草が繁茂していました。2023年11月24日に再訪した際には、草はきれいに刈り取られ歩きやすくなっていました。
そして、境内にまつられていた庚申塔群は、そのままのかたちで残っていました。
場所:大分県豊後高田市上香々地
座標値:33.631639,131.537200
小林幸弘氏の運営されているホームページによると、石垣のように並べられたこれらの石塔は、ひとつひとつが庚申塔のようです。
参照:国東半島の庚申塔,13057
URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/13kakaji/13057.html
不思議な模様のはいった庚申塔です。他の庚申塔と同じように青面金剛などの像が刻まれておらず、文字塔であったと考えられます。しかし建立年などの文字も、風化し確認することはできません。
この庚申塔のすぐ左隣りにまつられる庚申塔。
文字がみえづらくなっていますが、「奉修庚申石ニ」という文字は確認できます。
ホームページ「国東半島の庚申塔, 13056」を参照すると…
よく見ると「奉修庚申石二世□□」の文字が刻まれているのに気づく。
…とあります。さらに上香々地の長小野という地区には、役場支所前にもう一基庚申塔があることが紹介されています。
『国東半島のコウシンさま(小林幸弘著)』P.173
『国東半島の庚申塔(小林幸弘著)』Kindle位置番号77/246※電子書籍
役場支所前の庚申塔の建立は寛文二年、つまり西暦1662年で、香々地町のなかでは最古の庚申塔となるそうです。
長小野の役場支所前の文字塔に「寛□ニ」の文字があり、梵字種子の陰刻と、「奉□庚申石二世安楽」の願文が読み取れるので、この形態から寛永二年(1625)もしくは寛文二年(1662)の作例かと推定すると、これが町内の最古となる。
参照:『国東半島の庚申塔(小林幸弘著)』Kindle位置番号77/246
香々地最古の庚申塔の写真はホームページで拝見することができます。
参照URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/13kakaji/13003.html
【追記】
2023年現在、役場支所(長小野の三重支所)は取り壊されて更地になっており、香々地最古の庚申塔も行方不明となっているそうです。庚申塔は、現在の香々地役場にも移されていないそうです。小林幸弘氏より情報をいただきました。