日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

公民館横に鳥居と並んで祀られる庚申塔 福岡県遠賀郡山鹿

『増補改訂 芦屋町誌』P690-691に、福岡県遠賀郡芦屋町にある石造物の一覧が紹介されていました。その中に、庚申塔についての紹介もありましたので、ひとつひとつ巡っています。

 

今回ご紹介する庚申塔は、芦屋の万町という地区にある庚申塔です。

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万町公民館前に祀られる庚申塔

場所:福岡県芦屋町山鹿 万町公民館前

座標値:33.898868,130.666663

 

万町公民館の前に、小さな鳥居とともに庚申塔が祀られていました。庚申塔の正面には「猿田彦大神」と刻まれています。

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大きな岩を土台として、土台の上に庚申塔が乗せられているようです。土台と庚申塔のすきまは、コンクリートで補強されています。

 

庚申塔の裏側には「天保十五年辰正月吉日」「万町中」と刻まれているようです。

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庚申塔裏面に刻まれる銘

天保15年は1844年で、その年の干支(かんし)は甲辰(きのえたつ)です。「甲辰」の「辰」部分だけ銘に刻まれているようです。

 

福岡県遠賀郡には、まだまだ、古い石造物が各所に祀られているようです。

国道沿いの庚申塔 大分県玖珠(くす)町 森

大分県全域の庚申塔のある場所をまとめてくれている、こちらのサイト(大分県の青面金剛・庚申塔)を拝読して、大分県玖珠郡玖珠町をはしる国道387号線沿いの庚申塔をたずねてみました。

 

場所:大分県玖珠町大字森 鬼丸

座標値:33.311842,131.165131

 

地元のかたは国道387号線のことを、「さんぱちなな」の愛称で呼んでいます。「さんぱちなな」は、この地域では利用頻度の高い国道です。その国道沿いに、通るたびに気になる場所がありました↓ 

鬼丸という集落と、国道に挟まれるかたちで、このような↑こんもりとした杜があるのです。しかも、国道からは杜へと入るための石段がちらりとみえています。

「ここには何かがある」と感じてはいたのですが、鬼丸集落からも、国道からもよく見える場所にあるので、杜へ入ってゆく勇気がなかなかだませんでした。しかし、庚申塔や、他の史跡をさがす経験を数年積んできて、ある程度、ひと目を気にしないでも、このような場所へ行くことにも慣れてきました。

 

石段をのぼってゆくと、石灯籠とともに、ひとつ石塔が石段の途中で祀られてありました。

↓猿田彦大神と刻まれた庚申塔です。

庚申塔に向かって右側面には「文化十一甲戌年仲春」と刻まれていました↓

杜のなかは薄暗く、しかも逆光であったために、照明なしではこれらの文字を写真に写すことができませんでした。スマートフォンの「懐中電灯」機能をつかって、即席の照明をつくり撮影しました。

 

文化11年は西暦1814年。干支(かんし)は「甲戌(きのえいぬ)」です。「仲春」というのは、どう読み、どういう意味なのでしょう? この文字は「ちゅうしゅん」と読み、陰暦(旧暦)の2月にあたるとあります(参照)。春は「初春・仲春・晩春」と分けられるそうですが、そのうちの真ん中にあたるのが仲春です。現在、日本で一般的につかわれている陽暦でいえば、おおよそ3月にあたるようです。

↓庚申塔にむかって左側面には「鬼丸組講中」と刻まれます。鬼丸集落の庚申講メンバーが、この庚申塔を建立したという意味なのでしょう。

今回おとずれた庚申塔も、大分県の玖珠町にある型に多い「前傾型」でした。まるで、おじぎをしているようなコウシンサマです。

九州で唯一 ホームに県境がある駅 福岡県朝倉郡東峰村 福井

九州の鉄道おもしろ史』を読んでいて、九州でただひとつ、県をまたいでいる駅のホームがあるということを知りました。P432-P434に、その内容が紹介されていました。県をまたいでいる駅というのが、「宝珠山(ほうしゅやま)駅」です。

 

宝珠山駅はJR日田彦山線の駅のひとつです。日田彦山線は2017年(平成29年)、7月5日の九州北部豪雨で大被害をうけて、一部区間で不通の状態がつづいています。この宝珠山駅も、不通の区間のひとつです。

 

そのため線路やホームは雑草が伸び放題となっています。電車の行き来はなくなっているのですが、”九州でただひとつ”という文句に惹かれて、宝珠山駅へと行ってみることにしました。2019年8月11日(日)のことです。

場所:福岡県朝倉郡東峰村大字福井

場所:大分県日田市大字大肥

 

宝珠山駅の駅舎は福岡県寄りにあるので、実質、東峰村にある宝珠山駅ということになります。福岡県と大分県をまたいでいるというのが、宝珠山駅のホームです。ホームのやや南寄りのあたりに県境の標識が立っていました↓

標識の立っている地面には、ちゃんとこのような↓県境が描かれています。

県境標識の座標値:33.378715,130.879602

 

このように↑荒れてしまっているホームですが、駅舎を見学をする目的のためか、意外にも私たち家族以外にも何組かの方たちが、この宝珠山駅へと訪れていました。その方たちは、駅舎をメインに見に来ているのか、県境の標識のところまではこられていないようでした。

 

たしかに駅舎は趣のある造りでした。自動車での移動中心の私ですが、この木造の駅舎の雰囲気は、昔からあまり変わっていない、味のあるものだということが、なんとなく感じられます↓

ところで、この県境の標識が立てられたのは、2007年(平成19年)のこと。2007年までは、県境が駅構内にとおっている珍しい駅にもかかわらず、それに気づく人はすくなかったといいます(参照:『九州の鉄道おもしろ史』P433)

そのため東峰村が2007年に、ホーム上の県境の位置に「県境の駅」という標柱を建て、東峰村の名産である小石原焼(こいしわらやき)の陶板を線状に並べて埋め込みました(参照:西日本新聞 平成19年8月3日付) 

日田彦山線の不通区間は添田駅(福岡県田川郡)から日田駅(大分県日田市)の、長い区間です(参照)。その区間は代行バスが行き来して、鉄道の代わりの仕事を担っています。

 

大分県に行く際に、その代行バスに出会うことがたびたびあるのですが、乗客が乗っているのを見ることは、あまりないように感じます。現在の荒れた線路の状態をみてみると、これらの線路をもとの状態に戻し、電車を再び走らせていくというのは至難の業のように感じられます。

妙見寺磨崖仏 大分県竹田市会々

前回の記事で「山門に狛犬が祀られるめずらしい寺院」をご紹介しました。大分県竹田市にある不動院妙見寺の山門に、狛犬がすわっているという内容の記事でした。その記事の延長で、不動院妙見寺はもともと、妙見寺(東洞寺)だけであったものが、のちに岩壁に不動明王様が刻まれているのが発見され、「不動院」+「妙見寺」がくみあわさったとの旨も書かせていただきました。

 

その見つかった不動明王様の磨崖仏がこちらです↓
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場所:大分県竹田市 大字会々

座標値:32.970500,131.388299

 

不動院妙見寺の本堂に向かって立つと、本堂の左脇の岩壁に、この磨崖仏は彫られていました。磨崖仏の周囲には屋根が作られており、風雨から守られています。磨崖仏の前には、石仏の不動明王様とともに、数体の石仏も祀られていました。

磨崖仏である不動明王様は、五角形の掘り込みのなかに刻まれています。明王様の顔のほりの深さは浅く、のっぺりとした印象を受けます。大分県南部の臼杵(うすき)にあるような磨崖仏ほど精巧なものではないようです。

 

どちらかというと、国東半島をはじめとする、大分県北部でみられる磨崖仏のように素朴な印象をうける不動明王様です。

 

『竹田は石と水の織りなす文化』(岡の里事業実行委員会 発行)P29には、以下のように不動明王様の磨崖仏について説明されています。

 

磨崖仏は子どもの姿とされやや肥満傾向にあります。不動明王は童子形とされ、犬飼石仏とも似ています。五角形の彫り込みに守られたことで、風化を免れたようです。竹田市に残る浮き彫りの磨崖仏では最も大きく、立派な石像です。

 

不動院妙見寺の本堂は、標高255mほどの高台につくられています。妙見寺磨崖仏の前からは豊後竹田駅をはじめ、竹田の街並みが一望できる眺めのよい場所でした。

 不動院妙見寺を下から見上げた写真です↑

 

妙見寺磨崖仏のほかにも、岩壁には↓下のような穴が彫られていました。穴には石仏が刻まれていたような跡はないために、もしかしたら、この穴に小さな石仏が以前に祀られていたのかもしれません。

最後に、この妙見寺磨崖仏が見つけられたときの伝説を、『竹田は石と水の織りなす文化』(岡の里事業実行委員会 発行)P29より抜粋します。

 

伝説によると岡藩4代藩主 久恒の時に鷹狩りが行われ、鷹が逃げたので探すと廃寺の東洞寺の松の梢に止まっていました。東洞寺は今の妙見寺です。そこに不動明王、つまり磨崖仏があったのでした。藩主はこのことから不動院を建てて、藩の祈祷所にしました。その後不動院は廃れて行きます。

 

山門に狛犬が祀られるめずらしい寺院 大分県竹田市 会々

大分県竹田市の「不動院妙見寺」へ2019年8月17日(土)に行きました。目的は、このお寺の境内にあるという「妙見寺磨崖仏」を拝観するためでした。

 

妙顕寺磨崖仏のことを知ったのは、『竹田は石と水の織りなす文化』(岡の里事業実行委員会 2018.7.1発行)のP29を拝読してです。

 

今回の記事では、磨崖仏をご紹介するのではなく、不動院妙見寺の山門に祀られる狛犬についてです。狛犬は、よく神社でみかけるのですが、お寺でみかけることは少ないのではないでしょうか。わたしはお寺に祀られる狛犬が珍しいと思い、今回の記事でご紹介したいと思いました。

 

不動院妙見寺へいくためには、↓下の写真のような長い階段をのぼります。

参道入口の場所:大分県竹田市大字会々

参道入口の座標値:32.970136,131.388482

 

しかし、わたしは、お寺の裏側へとのぼる裏道から間違えて境内へといってしまいました。お寺の裏庭へとたどりついたとき、偶然にも、不動院妙見寺のご住職に会いました。お寺の裏側にいたために、怒られてしまうかと思いましたが、ご住職はやさしく境内へと招いてくれました。

 

どうしてお寺の山門に狛犬が祀られる?

本尊をお参りしたあと、ご住職に不動院妙見寺の由緒について教えていただきました。由緒を教えていただいた際に、本来なら神社によく置かれている狛犬が、このお寺の山門に祀られていることも教えていただきました。

 

↓こちらがその山門です。

山門に狛犬がのっている理由は、神仏習合の影響であるとのことで、このお寺自体が神社と寺院の機能を兼ね備えているためとのことです。 

明治維新でつくられた神仏判然令(神仏分離令)以前は、1000年以上神仏習合の時代がつづいたそうです(参照)。ということは、不動院妙見寺の歴史は明治維新以前にまでさかのぼる、ということになりそうです。

のちにご紹介しますが、不動院妙見寺自体は、明治16年に建立されました。神仏分離令(明治初期)のあとのことです。これだと、神仏分離がおこなわれたあとに、この狛犬がある山門が建てられたことになり、時代の流れと整合しません。もしかしたら、この山門のみ、建立された時代は明治時代に入る前なのかもしれません。

この不明瞭な部分は、史料などで詳しく調べてみる必要がありそうです。

 

熊本地方まで足を運んで寺院建立のための寄付を集めた

不動院妙見寺は、明治16年に、大分県竹田市の宮砥地区の門徒による寄進でできたそうです(参照:『竹田は石と水の織りなす文化』P29)。宮砥地区というのが、どのあたりにあるのか調べてみました。

 

すると、宮砥地区は妙見寺から南南西へ、直線距離で10㎞はなれた場所です。どうしてこんなに離れた場所のかたたちの寄進により不動院妙見寺が建立されたのか?それは、前のご住職が寄付をつのるために、この地や熊本の地にまで足を運んだとのことでした(ご住職談)。

 

本堂の壁には、たくさんの寄進者の名札がかかっているのですが、熊本地方の珍しい苗字のかたもおられました

 

もともとは妙見寺だけだった

「不動院」「妙見寺」とふたつの名前がついているお寺は、もともと東洞寺という、ひとつのお寺でした。ここで不動院妙見寺の名前の由来となる伝説を、以下、ご紹介します。

 

1600年代には、東洞寺は廃寺となっていました。岡藩4代藩主である久恒(ひさつね)が鷹狩りのとき、逃げた鷹が廃寺の東洞寺の松の梢にとまっていました。東洞寺というのが、後の妙見寺です。鷹がとまっていた、その妙見寺の境内に不動明王の磨崖仏がありました。そこで、久恒は不動明王を祀るための不動院を建てました。

 

こういう経緯で「不動院妙見寺」という、ふたつの名前がついたわけです。

 

不動院妙見寺 本堂の脇に、妙見寺磨崖仏がありました。不動明王の磨崖仏については、また、後日ご紹介したいとおもいます。

西椎屋の大銀杏 大分県宇佐市西椎屋

昨日(2019.8.19)の当ブログの記事で、「針金で補強された庚申塔 大分県宇佐市 西椎屋」をご紹介しました。その庚申塔が祀られているのが西椎屋神社です。庚申塔とともに西椎屋神社へも参拝にいきました。その際、境内にこんな巨大なイチョウの樹がありました。https://www.instagram.com/p/B1V_aCCg6KB/

場所:大分県宇佐市院内町 西椎屋

座標値:33.370595,131.262319

 

大分県で一番大きなイチョウの樹で「西椎屋大銀杏(にししいやのおおいちょう)」と呼ばれています(参照

ひと目、このイチョウの樹をみたとき、どう写真に撮ったらよいのかわからないくらい巨大なので困惑しました。樹を下から見上げるかたちで写真を撮っても、樹の迫力がなかなか感じられませんでした。

 

境内の上のほうから樹を俯瞰するかたちで写真を撮ると、樹の巨大さが一番感じられる印象となりました。

 

1300年ちかくも生きてきた樹の幹は、深い「皺」が刻まれています。特に西椎屋の銀杏は、その「皺」がうねるように刻まれており、爬虫類の皮膚のようです。

1300年ちかくも生きている樹ですが、まだまだ青々とした葉と実をつけています。

西椎屋の大銀杏は、宇佐市指定の天然記念物で、根回りは13m、樹高は約30mあるとのことです。

針金で補強された庚申塔 大分県宇佐市 西椎屋

「大分県の青面金剛・庚申塔」というサイトを拝見し、大分県宇佐市の庚申塔をさがしにゆきました。

 

参照:http://5.travel-way.net/~niemon/ooita/ooitasyomen.html

 

場所は宇佐市院内(いんない)町の西椎屋(にししいや)という地区です。この地区に西椎屋神社があります。

西椎屋神社は集落を見下ろせる高台にあるのですが、この神社の参道脇の岩の上に庚申塔が祀られていました。

場所:大分県宇佐市院内町西椎屋

座標値:33.370417,131.262545

 

庚申塔には「猿田彦命」とのみ刻まれ、建立年月などの他の文字は刻まれていませんでした。「猿田彦命」の文字の上方両側に「〇」印が刻まれていました。

この庚申塔の特徴は、右上から左下にかけてヒビがはいっていることです。もしかしたら完全に割れてしまっていたのかもしれません。しかし、このヒビ部分を補強するかたちで、2本の針金が庚申塔に巻かれていました。

側面から写した写真です↑ この角度から庚申塔をみると、「〇」印の一方に赤い着色が確認できます。