日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

旧 則松小学校の跡を探る 福岡県北九州市八幡西区則松

北九州市八幡西区の則松(のりまつ)という地区に、則松小学校があります。この学校、もともとは別の場所にあったことが、ひょんなことからわかりました。地元のかたから小学校の昔話をきいたのです。

 

参照:高見神社の土俵と旧則松小学校の跡を探る

 

現在の則松(のりまつ)小学校は、「福岡県北九州市八幡西区則松2丁目1−1」にあります。開校当時の則松小学校は、現在の「則松公園がある場所(福岡県北九州市八幡西区則松6丁目7)」にあったということです。

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この、旧則松小学校があった場所に、なにか小学校の痕跡がないか調べにいってみました。旧則松小学校があった場所…つまり、現在の則松公園は↓下の写真のような住宅街のなかの公園です。

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旧 則松小学校の校庭であった場所を、そのまま公園に転用しました。

 

公園内を散策してみると、公園の北東入口ふきんに、小学校跡であるという痕跡をみつけることができました。

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場所:福岡県北九州市八幡西区則松

座標値:33.852399,130.721187

 

石碑には「清水小学校・洞南南小学校・則松小学校 発祥の地」と書かれています。則松小学校はわかりますが、清水小学校と洞南南小学校の発祥とはどういうことなのでしょう?

 

この地にあった小学校は、”のちに則松小学校となる旧 則松小学校”ではないのでしょうか。調べてみました。則松小学校の歴史について、詳しく書かれているサイトがありました。

 

北九州市立則松小学校HP

 

このサイトに紹介されている内容を、おおざっぱに図にあらわすと以下のようになります。どうも、清水小学校、洞南南小学校というのは、「則松小学校」という名前になる前身の学校のようです。

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石碑がたてられている「則松公園」がある場所は、どうも、字(あざ)名が「清水谷」とよばれていたようです。この清水谷に学校が建てられたのは、明治10年の1月です参照。明治10年は1877年。当時の小学校の名前は「清水小学校」です。

 

地元のかたの話によると、清水小学校当時は、校門から校庭に入ってすぐの場所に「奉安殿(ほうあんでん)」という石造りの建物があったそうです。「教育勅語」参照が書かれた紙が白い桐箱に入れられ、奉安殿に納められていたということです。しかし、昭和23年…1948年…には教育勅語は廃止され、奉安殿も取り壊されました。

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「則松小の歴史」を参照すると、清水小学校は、洞南南尋常小学校、則松尋常高等小学校と名前を変えたようです参照。その後、現在の則松小学校がある「則松2丁目1-1」に新校舎ができ、そちらへ小学校が移転するかたちとなりました。

 

現 則松公園の場所にあった旧 則松小学校は、いつごろ取り壊されたのでしょう。今昔マップをみてみると昭和44年…1969年…には学校はなくなっています。

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「則松小の歴史」では、昭和13年…1938年…6月には、現 則松小学校が完成していたということなので、1938~1969年の間に「旧 則松小学校」は取り壊されたと考えることができます。

 

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旧 則松小学校の跡を探索してみましたが、調べてみると旧 則松小学校よりもさらに古い時代につくられた宮本小学校というのが、(字)五郎丸という地区で開校されたことがわかりました参照

 

現在でも五郎丸という名が残っている公園が、「福岡県北九州市八幡西区永犬丸2丁目3」に残っています。この辺りを散策すると、宮本小学校の跡…つまり観音堂…が残っているのかもしれません。当時は「学校」というより「寺子屋」という感じの学習塾という感じだったのかもしれません。

北九州をながれる紫川の起点碑をたずねる 福岡県北九州市小倉南区頂吉

『北九州の史跡探訪』P.93で、「紫川起点碑」というものが紹介されています。

 

頂吉(かぐめよし)の ます渕ダム奥の大河内橋袂にこの碑がある。ここを起点に紫川は16キロを流れ小倉市街を貫流し、流域をうるおし風光をそえ、街を育てた市民のオアシスである。

 

紫川起点碑をさがして、この地を何度か訪れていたのですが、なかなか見つけることができませんでした。今回の訪問で、やっと、みつけることができました。

 

起点碑は、下の写真のように草に覆われ、かつ、この地点周辺には、よく川遊びにこられた方たちが車を駐車しているため、その車の陰にもなっていたから、みつけにくかったと考えられます。

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碑は紫川に架かる「紫川橋」のすぐ近くにたてられています。碑には「紫川起点」と刻まれています。

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場所:福岡県北九州市小倉南区頂吉

座標値:33.739789,130.844068

 

紫川橋から、紫川をみおろします。このあたりは、このような清流となっているので、夏の休日などは、たくさんのかたが川遊びを楽しまれているようです。そのため、駐車スペースに困ると思われます。わたしは、紫川橋から県道258号線を北へ560mほどいった場所にある、路肩に車を停めさせてもらいました。駐禁の看板はでていません。

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もし平日であれば、人は少ないので、紫川橋を渡ってすぐ(橋の西側)に車一台分の駐車スペースがあるので、ここに車を停められます。

 

橋-西側-1台分の駐車スペース

座標値:33.739719,130.843855(google map

 

紫川起点碑から県道258号線沿いに、約110mいくと「やまのかみばし」があり、このふきんから紫川へと下りる小道があります。川のそばにおりることで、紫川始点の風景をたのしむことができます。

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金辺(きべ)峠へ明治時代にたてられた石碑をたずねる 福岡県北九州市小倉南区大字呼野

遠賀川: 流域の文化誌(香月靖晴著)』P.16を拝読していると、福岡県北九州市と田川郡との境にある峠道に、ある記念碑のことが紹介されています。それは「島村志津摩(しまむら-しづま)の記念碑」のことです。どのような経緯で、この記念碑がたてられたのか、かいつまんで以下に記述します。

 

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小倉藩は、第二次長州戦争において、高杉晋作ひきいる長州勢にせめられた

 

1866年8月1日、劣勢となった小倉藩は、拠点となる小倉城を自分で焼き、現在の福岡県田川郡にある香春(かわら)まで退いた

 

小倉藩の家老<島村志津摩>が、北九州市と田川郡との境にある金辺(きべ)峠にて、長州藩の攻撃を防ぎ、退けることができた

 

1886年(明治19年)その島村志津摩の功績をたたえ、記念碑がたてられた

 

参照1:『遠賀川: 流域の文化誌(香月靖晴著)』P.16

参照2:島村志津摩記念碑案内板

参照3Wikipedia-長州征討-

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金辺(きべ)峠には、2021年現在、車が行き来できる「第二金辺トンネル」「新金辺トンネル」があります。これらのトンネルができる以前は、いまは旧道となった「金辺トンネル」が使用されていました。

 

旧道「金辺トンネル」の東側に、徒歩で越せる金辺峠があります。この金辺峠に「島村志津摩(しまむら-しづま)の記念碑」が建てられているということで、行ってみることにしました。金辺(きべ)峠という場所に、いままでわたしは行ったことがなかったのも興味をもつきっかけとなりました。

 

石碑がある、おおよその位置を下の地形図にしめしています。

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現地につくまでは、石碑がある正確な位置はわかりません。そのため、ひとまず上の地形図の北側(北九州側)から金辺峠をめざしました。「新金辺トンネル」「第二金辺トンネル」がとおっている国道322号線から、はずれて旧道へと車をすすめます。

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旧道は採石場へとつづいており、舗装されている道で幅が広いです。しかし「金辺トンネル」の北側部分230mほどの区間は、道は舗装されておらず砂利道です↓ ここは徒歩で移動したほうがよさそうです。わたしは、舗装道の端に車を停めて、徒歩にて赤線部分を移動しました(上地形図参照)。

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 目的地となる「島村志津摩の記念碑」がどこにあるのか、はじめはわからなかったため、峠道がある方向とは別の、金辺トンネル方向へと、はじめは歩を進めました。

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金辺トンネル手前には竹でバリケードがされており、さらにトンネル入口は金網がはられています。トンネル自体には入れません。どうも不法投棄を防ぐためのようです参照。山からの地下水がしみだしているのでしょうか。トンネル内には、水が溜まっています。

 

トンネル周辺には、石碑らしきものは探せなかったため、一度ひきかえし、別の道を探してみます。トンネル手前約96m地点で分れ道があったため、その道(峠方向)へ歩を進めます。

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地形図では峠道ふきんには、古い採石場があります。昔、採石場が現役だったころ使われていた建物でしょうか。道の脇には廃屋がみられます。また、たくさんのゴミも散乱しています。

 

分かれ道から180mほど歩くと、また分かれ道があります。座標値(33.736390,130.857854)地点です。この分かれ道を右方向へいくと、目的地となる金辺峠に至ります。

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石垣がくまれた高台に「島村志津摩(しまむら-しづま)の石碑」がたてられています。 

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明治19年にたてられた、高さ約3mもの巨大な碑です。

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場所:福岡県北九州市小倉南区大字呼野

座標値:33.735975,130.858465 

 

峠を越えて、福岡県田川郡側へとおりる道には電波塔がたてられており、舗装もされています。もしかしたら、行きやすさを考慮すると、北九州側(北側)からではなく、田川郡(南側)から記念碑へいったほうが良いかもしれません。

高見神社の鳥居そばにまつられる二基の庚申塔 福岡県北九州市八幡西区則松

北九州市八幡西区-則松(のりまつ)の高見神社、一の鳥居そばの草むらのなかに、二基の庚申塔がまつられていました。どちらの庚申塔も「庚申」という文字が確認できましたが、建立年などの銘は確認できませんでした。

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写真左側の庚申塔

碑面 碑面(建立年)
庚申□□ (確認できず)

 

場所 座標値
福岡県北九州市八幡西区則松 33.851682,130.721290

 

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 写真右側の庚申塔

碑面 碑面(建立年)
庚申尊天 (確認できず)

 

場所 座標値
福岡県北九州市八幡西区則松 33.851676,130.721286

高見神社の土俵と旧則松小学校の跡を探る 福岡県北九州市八幡西区則松

北九州市八幡西区の則松(のりまつ)という地区の話を、地元のかたにうかがう機会がありました。則松には現在の則松小学校とは別に、旧則松小学校があり、その旧則松小学校の「上のほうに」高見神社があるといいます。

 

高見神社では、毎年10月9日に「おくんち」と呼ばれるお祭りがあり、「おくんち」では相撲大会が開催されていたそうです。相撲大会に出場するとノートがもらえたので、子ども心に、とてもうれしかったということです。

 

現在も、高見神社が残っているのか調べてみると、Google map上で所在を確認することができました。

 

則松の高見神社:福岡県北九州市八幡西区則松七丁目

座標値:33.850196,130.719945

則松の高見神社:Google map

 

この高見神社に、相撲大会に使われていた土俵は残っているのでしょうか?また、旧則松小学校は現在どのようになっているのでしょうか?

 

まずは高見神社へ行ってみることにしました。高見神社の「一の鳥居」は地点(座標値:33.851694,130.721235)にありました。鳥居わきには、自動車が1台通れるほどの舗装道が神社方面へ伸びています。

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舗装道は神社境内にまで伸びています。三の鳥居前に、車を3~4台分駐車できる広場があります。三の鳥居をくぐり石段をのぼると拝殿がみえます。

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拝殿の右側に、目標とする土俵がありました。

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この土俵が「おくんち」の相撲大会で使用されていた土俵だと考えられます。

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土俵の状態がとても綺麗ですが、現在でも相撲大会は、この土俵をつかっておこなわれているのでしょうか?

 

こちらのブログ「八咫烏の声-則松 高見神社 前夜祭-」を拝読すると、少なくとも2017年時点では、高見神社で相撲大会はおこなわれているようです。

 

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冒頭部分でご紹介しましたが、現在の則松(のりまつ)小学校とは別に、昔は、高見神社の「下のほう」に旧則松小学校があったといいます。地元のかたの話によると、旧則松小学校は、「戦争中は日本軍の兵隊により、校舎の半分が宿舎として使用されていた」とのことです。

 

今昔マップで、高見神社ふきんを確認してみますと、高見神社の北北東、約250m地点に学校が昭和25年ごろまで存在していたことがわかります参照

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旧則松小学校の跡は、2021年時点では則松公園となっています。

 

則松公園の場所:福岡県北九州市八幡西区則松六丁目

座標値:33.852370,130.720986

 小学校の名残がないか、この公園にもいずれ行ってみたいと思います。 

いまはもう幻の池となった紫池 福岡県北九州市小倉南区蒲生

『北九州の史跡探訪』(北九州史跡同好会)P.81に「紫池」という池が掲載されています。この池は、小倉の街をながれる紫川の起こりと紹介されています。”起こり”というのはどういうことなのでしょう。同書には地形図がしめされ、「大興善寺」ふきんに紫池があることがわかります。

 

紫川は、紫池があると示されている地点より、さらに上流部があるため、”源流”と解釈するには無理がありそうです。民間の伝承などで、”紫川が生じた場所”として伝わっているのかもしれません。

 

豊前志などの古書に、大興善寺の門外に「池ありて紫池と名づく。前に虹橋あり、島に弁財天を祭る」と。この池が紫川の起りと伝えられる。古代は、大湖、今は次第に涸れて小さい池である。『北九州の史跡探訪』(北九州史跡同好会)P.81

 

しかし、大興善寺ふきんを、実際にさがしてみても、紫池らしき池はありません。『今昔マップ』で大正14年の地図をみても、池らしいものはありません。

 

大興善寺の境内に、コイが泳ぐちいさな池があり、「これか!」とも思いましたが、『北九州の史跡探訪』に掲載されている写真とは、どうも違うように感じます。

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場所:福岡県北九州市小倉南区蒲生

座標値:33.847240,130.864932

 

↓こちらが『北九州の史跡探訪』に掲載されている「紫池」です。

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2021年現在では、もう、この紫池は消滅したのかもしれません。

 

『北九州の史跡探訪』で、紫池がしめされる場所の山側には「観音寺」というのがあります。

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この観音寺。実際にいってみると「馬頭観音寺」という看板がかかげられたお堂があります。

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さらに、このお堂の山側に、祠がたてられた涸れ沢があります。

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もしかしたら、この涸れ沢の下流域に、水が溜まる場所があり、そこが紫池となっていたのかもしれません。

於婆宮(おばのみや)神社にまつられる庚申塔 福岡県北九州市小倉南区蒲生

北九州市小倉南区-蒲生(がもう)の於婆宮(おばのみや)神社に庚申塔が祀られていました。神社、一の鳥居にむかって右側に庚申塔は祀られています。

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碑面 碑面(建立年)
猿田彦大神 天保十五甲辰年 講中

 

建立年 干支 干支読み方
1844 甲辰 きのえたつ

 

場所 座標値
福岡県北九州市小倉南区蒲生 33.845542,130.865039

 

神社境内に数台の駐車スペースがあります。