日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

稲荷神社境内に祀られる庚申塔 大分県杵築市大字馬場尾

大分県杵築市の馬場尾という地区。住宅街のなかに稲荷神社が祀られており、その一角に庚申塔がまつられています。

場所:大分県杵築市大字馬場尾

座標値:33.421680,131.605912

大分県杵築市大字馬場尾の庚申塔 33.421680, 131.605912

一面四臂の青面金剛のあしもとに二童子・二猿・二鶏が刻まれます。小林幸弘氏のホームページ『国東半島の庚申塔』では元禄八年乙亥年十一月二日が刻まれていると紹介されています。元禄八年は1695年です。

稲荷神社境内に祀られる庚申塔

都島展望公園からの夜景 福岡県北九州市戸畑区 牧山

場所:福岡県北九州市戸畑区 牧山

座標値:33.894521,130.809865

 

洞海湾をはさんで若松区の夜景を撮影。石炭の積み出し港で栄えた町で、今は埋立地区が整備されてとても美しい港町になっています。若松区の対岸からながめると、埋立地に林立するマンションが圧倒的な存在感をもっていました。マンションの背後にみえる山は高塔山・石峰山です。

都島展望所からながめる若松区の夜景

都島展望公園からも若戸大橋を真横からながめることができます。橋の全体を写真にとることができたのですが、遠くから橋全体を撮ると、なんとなく迫力に欠け若戸大橋の魅力がひきだせていないように感じました。

夜の若戸大橋

ただ遠方から橋をながめると、洞海湾の水面に橋の光や周囲の工場の光が反射し、これが美しい模様になっています。

若戸大橋の光が水面に反射する

北九州市若松区には石峰山・高塔山があり、その山々と洞海湾との狭い範囲に住宅地が密集しています。その密集した雰囲気を夜景として写真に撮ってみたかったのですが、都島展望公園からでは難しかったです。

 

住宅が密集している感じを撮るには、石峰山や高塔山から町を俯瞰して撮る必要がありそうです。

犬鳴ダム湖の東にある庚申塔 福岡県宮若市犬鳴

犬鳴ダム湖の周囲をはしっている道路わきに庚申塔が祀られていました。ダム湖周囲の庚申塔については、2019年に、たしか3基の庚申塔をご紹介しました。

 

https://www.ku-hibino.com/entry/2019/01/12/183608

https://www.ku-hibino.com/entry/2019/01/21/221902

https://www.ku-hibino.com/entry/2019/02/05/201231

 

この3基とは別に、見落としていた庚申塔があったようです。

犬鳴ダムの東側に祀られる庚申塔 福岡県宮若市犬鳴

場所:福岡県宮若市犬鳴

座標値:33.691364,130.559719

 

「明和六年巳丑天 二月十一祥日」の銘が刻まれます。明和六年は1769年です。表面が綺麗に加工されています。

 

ダムに沈んだ村に祀られていたものが移転・作りなおされたのかもしれません

犬鳴ダムの東側に祀られる庚申塔 福岡県宮若市犬鳴

装備が貧弱だったのであきらめた登山 福岡県宮若市山口 西山(鮎坂山)

2020年6月30日の記事で、犬鳴ダムのさらに山奥にある史跡「犬鳴御別館跡」についてご紹介しました参照。福岡藩主をかくまうためのお城であったという内容の記事です。

 

この記事のなかで、犬鳴御別館のちかくには西山(鮎坂山)という標高644.5mの山があり、これにつらなる峰に犬鳴御別館の番所があったということもご紹介しました。この番所があったと予想される峰に実際にのぼってみることにしました。

 

場所:福岡県宮若市山口 西山(鮎坂山)

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登山予定ルート

結論からいうと、のぼっている途中で、準備不足だと気付き、ひきかえしてきました。登山ルートとして考えていたのが、犬鳴御別館跡の東側からはじまる登山道から登って、「草場岳」という名前のピークへ向かうルートです。

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予定していた西山までの登山ルート

登山口までの様子

犬鳴御別館跡のすこし東側地点まで車でいくことができます。その後は、徒歩で「犬鳴御別館跡」敷地入口の鉄のゲート脇をとおります。そして舗装された道路を、登山口まで移動します。

 

登山口までは舗装された道路をあるいていきます。すると砂利がしきつめられた何もない広場にでます。この広場の奥に、さらに奥へと続く坂がみえます↓

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坂をのぼりきると雑草の生える広場があります。あわてていたためピントがあっていませんが、鹿の群れにであいました。広場の草をはんでいました。

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鹿の群れはしばらくこちらの様子をうかがっていましたが、私がうごきだすと散ってしまいました。犬鳴御別館跡敷地内は、この広場にかぎらずあちこちに鹿のフンがちらばっています。歩くときに踏まないよう注意する必要があります。

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鹿広場のいちばん奥に西山登山口があります。

 

登山口の位置と急登はじめまで

西山登山口座標値(多少の誤差があります)

33.704722,130.557222

f:id:regenerationderhydra:20200704092611j:plain

登山口は樹々の影になっていて遠くから眺めると見つかりにくいです。木陰にはいり、杉の木にくくられている目印のピンクテープを注意深くみつけだす必要があります。

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登りはじめから急登です。

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急登と思っていましたが、地形図をみると、こんなのは序の口であることがわかります。

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等高線のひと目盛りが10mのため、登山口から「一番はじめの尾根」までは約30m程度です。「一番はじめの尾根」に登ると、それからは草場岳までは等高線が密集しています。なんと240mもかなりの急登がつづくことがわかります。

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一番はじめの尾根

↓「一番はじめの尾根」からの「240mの急登」です。写真ではわかりにくいですが、”気をぬくと滑り落ちてしまうほど”の上り坂が延々とつづいています。

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こんなに険しい山とはおもっていなかったため、軽装備できていました。もってきていた水も底をつきかけていたので(座標値:33.705833,130.558333)地点で、登山をあきらめひきかえしました。

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再トライ時の対策

次回、西山をトライするときは以下のものは最低限、用意していきたいと思います。

 

・登山用ストック

・十分な量の水

  →1L程度

・タオル

  →大量の汗をかく

  →虫よけ

・手袋

  →急斜面のため手をつくことが多い

・虫よけスプレー

  →蚊やコバエがやや多い

・登山用リュック

 

 

ワンショルダー型のカメラ用リュックで今回はのぼったのですが、片側の肩にのみ負担がかかり肩がいたくなってしまいました。両肩でしっかりと支えられる登山用リュックは必要だと感じました。

 

 

あと、犬鳴ダム周辺は、スマホの電波がまったく届かないために事前に登山計画を他者に伝えておく必要があると感じました。

 

特に、この西山はあまり登るひとがいないのではないかと感じますので、万が一のことを考え「どれくらいの時間には下山して、下山したときには連絡をいれる」旨を信用できる人に伝えておく必要があると思いました。

石峰山の頂ちかくにある謎の仏像と祠 福岡県北九州市若松区藤木

福岡県北九州市若松区には、高さ302.5mの石峰山という名前の低山があります。石峰山は登山道がよく整備されているので、往復1時間ほどの体力づくりの登山には最適です。雨が降っていても傘をさして登れます。雨の日でも、樹々の間からさす少ない光が山道を照らし、それがまた美しいです。

石峰山登山道

石峰山登山道(33.9035631,130.775522)付近

この石峰山山頂の標識から北西へ約45mいった森の中に立派な不動明王立像が祀られます。主な登山道からはずれた場所にあるので、人目につくことはほとんどないのではないでしょうか。

石峰山の不動明王像

石峰山の不動明王像

「北九州市史(民俗)」のなかを、この不動明王について書かれている部分はないか探していますが、それらしき記述はありません。比較的、新しい時代(昭和)のものと思われますが、誰がどんな目的で祀ったのかは不明です。

 

座標値:33.9036450,130.7719570

 

不動明王像が祀られる場所にちかいところに、もうひとつ不思議なものがあります。

不動明王像ちかくにある石祠 石峰山

不動明王像ちかくにある石祠

座標値:33.9036447,130.7719573

 

石祠以外には朽ちた鳥居だけが残ります。鳥居が残っていれば、その額束(がくづか)をみれば祀られている神様の名前などがわかったかもしれません。しかしそれも残っていません。

 

憶測ですが、石祠の北側220m…石峰山中腹に石峰神社があるため、この奥宮かもしれません。

神功皇后をもてなした山 福岡県宮若市 上有木

福岡県の宮若市に上有木という地区があります。この地区に靡(なびき)山という名前のめずらしい山があります。この山のふもとに靡神社があり、先日この神社を参拝しました。参拝したとき靡山の存在を知り、神社のご神体として靡山があがめられているのではないかと考えました。

 

もしかしたら、靡山の山頂にいくと祠かなにかが祀られているのではないかと予想し、登ってみたいと思いました。そして実際に登ってみました。

f:id:regenerationderhydra:20200702181917j:plain

 

靡(なびき)山の名前の由来

「靡」という文字は「ただれる」「おごる」などのたくさんの意味のなかに「なびく」という読み方もあり参照、その読みどおり「なびく;ゆらめくように動く」という意味があります参照

 

では何が”なびいた”のでしょう?そのヒントが「笠松・靡山物語」というサイトに示されています。神功皇后が福岡の香椎(かしい)へ行く途中、靡山のある地にたちより休憩をとっていたとき、この地の人々や樹々が神功皇后をもてなしたということです。靡山の樹々はおじぎをして神功皇后をもてなしたために、”樹々がなびいた”ということから「靡山」と命名されたということです。

 

夏の靡山登頂にはたくさんの難点があった

靡山は標高296.8mと低い山なのですが、2020年7月2日時点では、登山道は荒れておりのぼりきるにはかなり苦労をしました。苦労

した点を以下にまとめます。

 

・倒木が登山道をじゃましていた

・踏み跡が消えかかっていた

・クモの巣がたくさんあった

・やぶ蚊がたくさんいた

・地面がぬかるみ急斜面では滑りやすかった

 

このような難点があったため、以前に一度、靡山を登頂をしようとしたのですが3合目あたりで引き返しました。2020年7月2日、装備をととのえ再トライしました。以下はほとんどがスマホの画像です。

 

登山道の様子

靡山の登山口は町道のわきにあります。

登山口の座標値:33.756930,130.613745

f:id:regenerationderhydra:20200702191512j:plain

靡神社の駐車場(座標値:33.757756,130.613964)に車をとめさせていただき、徒歩でこの登山口まで歩いてきます。徒歩だと駐車場から登山口まで5分ほどです。登山口から雑草がおいしげっているために、しばらくの間、靡山には人がのぼっていないのではないかと想像します。

 

3合目くらいまでは、比較的、歩きやすい登山道がつづきます。登山道を示してくれるピンクテープは登山口から山頂まで一定間隔でつけられているので、道にはまよいにくいと思います。そして3合目くらいまで(座標値:33.757500,130.610556:標高約150m地点)は踏み跡が比較的しっかりとしており歩きやすいです。

 

やぶ蚊もやや少ないです。その理由は竹林がひろがっており、地面に竹の葉が落ち、ぬかるんだ道をおおってくれているからだと思います。

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しかし竹林を過ぎ、徐々に樹木がまざってくると登山道の様子がかわってきます。具体的には道がぬかるんできて、樹々が密集してきます。道がぬかるむのでやぶ蚊が多くなり、樹々が密集するのでクモの巣も多くなってきます。さらに斜度が高くなります。

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標高165mあたりの写真が↓下の写真です。倒木と落ち葉が登山道をおおっています。道はぬかるんでいるので、ときどき滑るため転倒に注意します。幸いにも登山用ストックをもっているので、ストックに体重を分散させ、足だけで登っていかないようにし、極力すべらないように注意します。

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クモの巣が多いのでストックでクモの巣をはらいながら登ります。この点でも、かなりストックは役に立ちました。

 

↓下の写真は標高230m地点です。山頂296.8まではあと70mほどですが、登っていくほど登山道の状態がひどくなっているような感じがします。写真にはうつりませんが、足をとめると大量のやぶ蚊が体のまわりにあつまってきます。とても暑いのですが、長袖の上着はぬぐことができません。そのためこの時点で、多量の汗をかいており、かなりの不快度です。

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あとから登山道の状態を振り返ってみると、ひどい急登があるのは165m~260mあたりまでということがわかりました。

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この区間をすぎると、斜度はややゆるやかになります。

 

山頂ふきんは、樹々は比較的密集しておらず、地面は平らとなっているため、ちょっとホッとします。しかしあいかわらず、やぶ蚊は多いので長居はできません。

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↓三角点がある山頂です。木漏れ日がさす、ちょっとした広場となっています。

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展望はありません。そして、ここもやぶ蚊がひどいです。写真の右下のほうに三角点がみえます。

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山頂に祠はなかった

山頂には祠など、神様をまつるような史跡はありませんでした。「靡神社がまつる神様のご神体が靡山ではないか」という私の想像はどうもまちがっていたようです。あくまでも”神功皇后をもてなすために靡山の樹々がおじぎをした”という伝承がのこっている山のようです。

 

山頂についたら、持ってきていた一眼レフカメラで森の様子を撮影しようと思っていたのですが、たくさんのやぶ蚊に難儀していたのと、疲労ですぐに下山することにしました。

 

登り始めから登山口へもどってくるまで、ちょうど1時間の登山時間でした。

 

古いお寺の境内にのこる墓碑群 福岡県宮若市黒丸

福岡県宮若市黒丸の清水寺というお寺の境内に、とても古いお墓の跡がのこされています。そのお墓は「古塚」とよばれています(参照:案内板)。その「古塚」のほぼ中央部分に↓下の写真のような巨大な板碑がたてられています。

清水寺の古塚自然石種子板碑 福岡県宮若市黒丸

場所:福岡県宮若市黒丸

座標値:33.712455,130.575331

 

「古塚」には、この板碑以外に、10基ほどの小さな板石塔婆が、板碑の周囲にちらばっています。野原にぽつぽつと、このような自然石の塔婆がたつ光景は、いかにも古い時代のものがそのまま残された感覚をおこさせてくれます。

これらの板碑や石塔婆はいつの時代から、この場所にたてられているのでしょう?案内板によると、およそ室町時代(1336年~1573年)と記されています。今から数えると約450年も前のことになります。

 

この史跡は清水寺境内にありますが、清水寺が栄えていたのが室町時代だったそうで(参照:案内板)、その期間に境内に埋葬された方たちの墓標がこれらの石塔婆だったのですね。想像するに、当時はたくさんの石塔婆がこの地にならんでいたと考えられます。

そしてズラっと並んだ石塔婆の中央に、この下の写真の「古塚自然石種子板碑」がまつられていたのでしょう。この板碑には胎蔵界大日如来を意味する種子の「ア」がおおきく刻まれています。建立年月の銘は刻まれていませんが、その造りから室町時代前期から中期ごろ(1300~1400年ごろ)に造られたとされます。

 

ちなみに板碑のまわりには、現在、以下の石塔が残されています。

 

・自然石板石塔婆10基

・宝篋印塔の塔身部分2基

・宝篋印塔の笠部分3基

・宝篋印塔の基礎部分4基

・宝篋印塔の基壇2基

・五輪塔の地輪部分1基

・五輪塔の水輪部分1基

・五輪塔の火輪部分2基

・相輪上部5基

・その他いくつかの石積み

今回ご紹介した「古塚自然石種子板碑」は、清水寺の西側85mほどの場所にある高木神社を参拝しようとしたときに、たまたま見つけたものです。

 

宮若市のホームページや観光マップを参照しながら、宮若市の史跡めぐりをしていますが、他地域と比較して史跡に関する情報が少ない印象を受けます。宮若市には古い建物や風景が残っているために、おそらく他にもたくさんの史跡がうもれていると考えられます。地道に各所を巡って史跡をみつけていくしかなさそうです。