参照:『北九州市史 民俗』P544-557
聖地と忌地の共通点と違い
「聖地と忌地はとかく混同されがち」であるとされています。両者の決定的な違いは、聖地が神仏に対する「厳粛な神聖な感情」を伴う場所であるのに対し、忌地はそうした神聖さを欠き、「タブー(禁忌)に対する畏怖感だけを残した癖地・祟り地・呪地など」とされる点にあります。しかし、聖地と忌地とのあいだには、はっきりとした共通点があります。
①どちらも特定の場所に対して人々が日常空間とは異なる特別の念(畏怖の念や不可侵の意識)を抱いていること。
②その場所への立ち入りや特定の行為を固く禁じる「タブー」が存在する点。
例えば、木の伐採、動物の捕獲、不浄な行為、あるいはみだりに触れたり動かしたりすることなどが禁じられており、これを犯すと「罰が当たる」「祟られる」と信じられています。実際には、聖地と忌地の区別を厳密につけることは難しく、両方の性質を併せ持つ場所が数多く存在しています。
聖地と忌地の例
『北九州市史』には、聖地や忌地が挙げられています。以下に代表的なものを列挙します。
【門司区】
田野浦の聖山(日尻山)
一帯に旧家の墓が多く、かつては遊女の墓もありましたが(後に地蔵尊に移転)、「神の山」として女性が山中に入ることを固く禁じられていました。
伊川のおとばし様(大歳神社)
火をつかさどる神が祀られ、境内を犯す者は祟られて足が立たなくなると伝えられています。
吉志大原の戦墓・黒川の貴船神社裏の殿墓
合戦の死者などを葬った場所で、みだりに触ったり動かしたりすると祟りがあると恐れられる一方、お盆には地域住民によって清掃され、大切に保存されています。
【小倉北区・小倉南区】
井手浦の山田の森
素盞嗚尊が切った八岐大蛇の尻尾が落ちた場所とされ、現在でも大蛇を切る神事(しりふり祭)が行われています。
合馬の神域
古くから神域を聖地と考え、神域を汚すこと、樹木の伐採、魚鳥の捕獲が禁じられています。
頂吉の地主様
各家の屋敷内に先祖を「地主様」として祀り、石祠の付近は聖地として常に清掃され、周辺の伐採は厳禁されています。
大清水神社の水神様(東谷市丸)
かつて水死する子供が多かったため、水神様が立腹して石を持ち上げて河童を追い出したという伝説があります。その後水死事故がなくなったことから、村人はこの石を水神様として崇め、いたずらをすると神様の罰が当たるとされています。
堀越の十三塚
戦国時代に攻め滅ぼされた武将と部下たちの墓で、塚の上に登ったり汚したりすると祟りや悪疫が流行るとされています。
【八幡東区・八幡西区】
山の神様の滝(田代)
水垢離をとる場所であり、不浄にならないように大切に保たれています。
穴生の兄弟墓
無実の罪を着せられ打ち首になった兄弟の墓で、触ると祟りがあると恐れられています。
正願寺裏の殿屋敷と古井戸(折尾)
無実の罪で処刑された者の怨霊を鎮めるための墓があります。また、蓋を開けると祟りがあるという「のろいの井戸」があり、いまだに中を覗く人はいないとされます。
黒崎城山の地主様
塚に触れると病気にかかる者が続出したと伝えられ、恐れられています。
【戸畑区】
天籟寺の天満宮の荒れ地
この土地に触ると祟りがあると言い伝えられています。
聖地や忌地が地元民にとって与える機能
これらの聖地や忌地は、単に迷信として恐れられていただけでなく、地元民や地域社会にとって非常に重要な機能を果たしていました。
① 自然環境の保護と水源の維持
合馬の神域や頂吉の地主様、山の神様の滝のように、「神域」「聖地」として樹木の伐採や魚や鳥の捕獲を禁じ、不浄を避けるというタブーは、結果として水源や豊かな森林環境を物理的に守る役割を果たしていました。自然への畏敬の念が、持続可能な環境保護の機能とされていたといえます。
② 共同体の記憶の継承と慰霊
北九州市の聖地には、凶作の際に直訴して打ち首になった農民(小竹の十三塚)、戦死した武士(堀越の十三塚など)、無実の罪で処刑された者(穴生の兄弟墓など)を祀る場所が数多く見られます。祟りや怨霊を恐れる感情は、過去の悲劇的な出来事や不条理な死を地域の記憶として継承させます。それと同時に、祟りを鎮めるためにお盆などに墓を手厚く清掃し供養し続けるという、死者への鎮魂と慰霊の機能を果たしていました。
③ 社会規範の維持と道徳的教訓の伝達
「みだりに触ると腹が痛む」「いたずらをすると罰が当たる」といった伝承は、神聖な場所や他者の墓を荒らしてはならないという倫理観や道徳を、世代を超えて教育する機能を持っています。また、「夕暮れ時には決して一人で通ってはならない」(井手浦の五輪馬場)*1といった言い伝えは、危険な場所や時間帯から子供や村人を遠ざけるための、安全対策や防犯としての側面もあったと考えられます。
④ 共同体の結束と精神的な拠り所
特定の石を水死から子供を守る水神様として大切に崇めたり、先祖を屋敷の守り神として祀ったりする行為は、村人たちが共同で祭祀(神事)を行い、信仰を共有する場を提供しました。これにより、地域住民のアイデンティティが形成され、コミュニティの絆を強固に保つ精神的な拠り所となっていたと考えられます。
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北九州市の聖地や忌地は、単なる立ち入り禁止の空間ではなく、自然との共生、死者の慰霊、社会規範の教育、そして地域社会の結束という、共同体を維持するための重層的かつ、不可欠な機能をもっていたのではないかと考えられます。