日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

曩祖神社の境内社 若光稲荷神社の参道脇にまつられる庚申塔 福岡県飯塚市宮町

曩祖神社の境内には、若光稲荷神社(境内社)、飯塚天満宮(境内社)もまつられています。若光稲荷神社は、商売繁盛や縁結びの神様として、飯塚天満宮は、学問の神様として信仰されています。若光稲荷神社へとつづく参道脇に、庚申塔が一基まつられていましたので、ご紹介します。

階段途中、参道の左側に庚申塔が一基まつられていました。

場所:福岡県飯塚市宮町

座標値:33.641667,130.683333

 

「庚申」ではなく「申庚」と刻まれています。申庚尊天、なにか理由があるのでしょうか?誤記でしょうか?それとも、わざと文字をひっくりかえしたのでしょうか?おそらく、わざとでしょうが、文字をひっくりかえした理由はよくわかりません。「申」を先に置くことで、猿田彦神をより強く意識していたのかもしれません。

庚申塔にむかって右側面に、明治三十九年四月吉日と刻まれているようですが、「四月」という箇所は風化がつよく、読み取りきれません。1906年の干支は丙午(ひのえうま)です。

以下は、若光稲荷神社の案内板を要約したものです。

 

若光稲荷神社は、曩祖八幡宮の末社として古くから鎮座し、人々の命や暮らしを守る神として崇敬されてきました。

 

ご祭神

宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
佐田彦神 (さたひこのかみ)
大宮能売神 (おおみやのめのかみ)


ご神徳

命の守護
五穀豊穣
福徳開運
良縁・幸福
厄除け

 

かつては荒廃していた時期もありましたが、神託により社殿が復興され、現在も人々の信仰を集めています。

 

特に「若光」という名前には、神様の霊験がいつまでも若々しく光り輝きますようにとの願いが込められています。

 

日吉社 大分県玖珠郡玖珠町山田

大分県玖珠郡玖珠町山田に鎮座する日吉社の、静寂に包まれた冬の風景です。稲穂が刈り取られた田んぼの中に、凛とたたずむ鳥居と社殿。その背後には、常緑樹の深い緑が静かに広がり、神聖な雰囲気を漂わせています。参道を挟んで左右に立つ石灯籠が、長い年月を経た歴史を感じさせます。冬の澄み切った空気の中、静寂の中に佇む神社は、訪れる人の心を穏やかにするような、神聖な空間を作り出しています。

 

場所:大分県玖珠郡玖珠町山田505

大分県玖珠郡玖珠町大字帆足

撮影場所:大分県玖珠郡玖珠町大字帆足

座標値:33.281575,131.149439

 

大分県玖珠町の帆足地区から望む、幻想的な朝の風景です。中央にそびえるのは、標高512mの伐株山。その名の由来となった、山頂が伐採されたような独特な姿が印象的です。手前には、町を流れる玖珠川が静かに水をたたえます。山裾を包み込むように漂う朝霧が、神秘的な雰囲気を醸し出します。

新宮八幡の鳥居両側にまつられる二基の庚申塔 大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

大分県玖珠郡玖珠町の塚脇という地区に、新宮八幡が鎮座します。鳥居の両側に庚申塔が二基まつられていました。

鳥居に向かって右側の庚申塔↓

場所:大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

座標値:33.266820,131.162095

 

久しぶりに、猿田彦大神ではなく、「庚申塔」と刻まれた庚申塔に出会えた気がします。

台座に天保四年巳八月吉日の銘が刻まれています。西暦1833年で、干支は癸巳(みずのとみ)です。

◆◆◆◆◆

 

鳥居にむかって左側の庚申塔には、猿田彦大神の銘が刻まれているのが確認できますが、その他、建立年などの文字は確認できませんでした。

場所:大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇

座標値:33.266900,131.162108

 

案内板より船岡山についての説明の要約

 

古代

弥生時代から古墳時代にかけて人々が生活していた。
多数の石棺や土器類が出土していることから、墓地としても利用されていたと考えられる。横穴古墳群の存在は、有力者の墓地であった可能性を示唆する。

 

平安時代

清原氏の始祖である正高公が居館を構えたという説がある。
平安時代における郡の政治の中心地であった可能性がある。


近現代

昭和28年の大水害の後、土砂採取により横穴古墳群の多くが破壊された。
このように、船岡山は長い歴史の中で、人々の生活の場、墓地、そして政治の中心地としての役割を担ってきたと考えられます。