日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

日吉神社の境内にまつられる二基の庚申塔(2/2) 大分県国東市国見町大熊毛

前回の記事では、日吉神社にまつられる、青面金剛の立派な庚申塔をご紹介しました。今回の庚申塔は、前回の庚申塔にむかって右側の石祠のなかにまつられていました。下の写真では左側、石灯籠の奥に二基の石祠がみえますが、その左側の石祠に庚申塔がまつられています。

外観から憶測すると、おそらく砂岩でつくられているようで、だいぶ風化がすすんでいます。像の細かい部分がみえなくなっています。

主尊は一面六臂の青面金剛です。左腕になにかをぶらさげているようですが、これはショケラのようです。

 

参照:国東半島の庚申塔(小林幸弘).25096

URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/25kunimi/25096.html

青面金剛の右手には鉾(ほこ)のような武器を把持していますが、十字架のようにも見えます。

足元部分は崩れてしまっているためか、三猿二鶏は確認できませんでした。


庚申塔がおさめられている石祠の右側面に元号が刻まれていました。

文化八未年

五月廿三日

 

「八」の部分は判読しにくくなっていますが、文化年間で干支に「未」がつくのは文化八年(干支は辛未(かのとひつじ))しかないため、推測は容易にできました。文化八年は1811年です。

 

ただ、この祠がほんとうに庚申塔がつくられた時代を示すのかは定かではありません。風化がすすんでいる庚申塔をみかねて、どなたかがもともとあった石祠に庚申塔を奉納した可能性もあります。

日吉神社の境内にまつられる二基の庚申塔(1/2) 大分県国東市国見町大熊毛

7年前の2016年7月に、大分県国見町にある日吉神社の庚申塔を訪ねていました。その庚申塔を2023年11月に再訪しました。

場所:大分県国東市国見町大熊毛

座標値:33.655103,131.650228

 

2016年のときの記事はこちらです↓

 

梅雨があけた国東半島で庚申塔探訪 今日は国見町 日吉神社のコウシンさま

 

当時とかわっていません。庚申塔にむかって台座の左側面に建立年が刻まれています。

嘉永元年 戌申孟秋

 

孟秋は…秋の初め。初秋。また、陰暦7月の異称…とあります。嘉永元年は1848年、この年の干支は戊申(つちのえさる)です。

 

参照:Goo辞書

URL:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%AD%9F%E7%A7%8B/

 

主尊は一面六臂(いちめんろっぴ)の青面金剛で、頭の上に月日と雲。両脇に二童子がひかえます。青面金剛の足元には見ざる言わざる聞かざるの三猿が刻まれます。

 

参照:「国東半島の庚申塔(小林幸弘)」.25016

URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/25kunimi/25016.html

 

 

このときの参拝では、日吉神社では一基の庚申塔しかみつけられませんでした。雑草が繁茂しており、もう一基庚申塔が境内にまつられているのを見落としていました。2023年の訪問では、石祠や庚申塔まつられる場所の雑草がとりのぞかれており、庚申塔がもう一基まつられていることに気づきました。

 

その、もう一基の庚申塔は次の記事でご紹介します。

山王宮にまつられる庚申塔群を再訪 大分県豊後高田市上香々地

2020年9月に、大分県の国東半島(くにさきはんとう)にある山王宮を訪問しました。その際、庚申塔を参拝し、これを記事にしました。

 

山王宮のいっかくに祀られている庚申塔

山王宮のいっかくに祀られている庚申塔②

 

2020年に訪れたときは、山王宮の境内には雑草が繁茂していました。2023年11月24日に再訪した際には、草はきれいに刈り取られ歩きやすくなっていました。

そして、境内にまつられていた庚申塔群は、そのままのかたちで残っていました。

場所:大分県豊後高田市上香々地

座標値:33.631639,131.537200

 

小林幸弘氏の運営されているホームページによると、石垣のように並べられたこれらの石塔は、ひとつひとつが庚申塔のようです。

 

参照:国東半島の庚申塔,13057

URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/13kakaji/13057.html

不思議な模様のはいった庚申塔です。他の庚申塔と同じように青面金剛などの像が刻まれておらず、文字塔であったと考えられます。しかし建立年などの文字も、風化し確認することはできません。

 

この庚申塔のすぐ左隣りにまつられる庚申塔。

文字がみえづらくなっていますが、「奉修庚申石ニ」という文字は確認できます。

ホームページ「国東半島の庚申塔, 13056」を参照すると…

 

よく見ると「奉修庚申石二世□□」の文字が刻まれているのに気づく。

 

…とあります。さらに上香々地の長小野という地区には、役場支所前にもう一基庚申塔があることが紹介されています。

 

国東半島のコウシンさま(小林幸弘著)』P.173

国東半島の庚申塔(小林幸弘著)』Kindle位置番号77/246※電子書籍

 

役場支所前の庚申塔の建立は寛文二年、つまり西暦1662年で、香々地町のなかでは最古の庚申塔となるそうです。

 

長小野の役場支所前の文字塔に「寛□ニ」の文字があり、梵字種子の陰刻と、「奉□庚申石二世安楽」の願文が読み取れるので、この形態から寛永二年(1625)もしくは寛文二年(1662)の作例かと推定すると、これが町内の最古となる。

 

参照:『国東半島の庚申塔(小林幸弘著)』Kindle位置番号77/246

 

香々地最古の庚申塔の写真はホームページで拝見することができます。

 

参照URL:http://5884koshinto.my.coocan.jp/13kakaji/13003.html

 

【追記】

2023年現在、役場支所(長小野の三重支所)は取り壊されて更地になっており、香々地最古の庚申塔も行方不明となっているそうです。庚申塔は、現在の香々地役場にも移されていないそうです。小林幸弘氏より情報をいただきました。

山神社 大分県国東市国見町小熊毛

場所:大分県国東市国見町小熊毛

座標値:33.651192,131.634523

 

大分県の国東半島(くにさきはんとう)。小熊毛(こくまげ)という名前の地区。

 

小熊毛川の水を貯めたダム。

 

ダムの下流側に鎮座する山神社。イチョウの樹が、良い色に色づいています。

鳥居のそばに咲いているサザンカ。

寒い日でしたが一匹のスズメバチが、元気なく花の周りを飛んでいました。

落葉の積もる拝殿。

古い石灯籠。

 

 

本殿のわきに祀られる大杦(おおすぎ)大神。

稲敷市阿波の大杉神社は、全国に670社ほどある大杉神社の総本宮です。

菟上之国(うなかみのくに)は広大な常総内海を支配域としておりました。その内海の航路標識の役割をはたしたのが、大杉神社の巨大な杉です。この地が「あんば」と呼ばれていたことから、巨杉に鎮座する神様は「あんばさま」と呼ばれました。この巨杉は常総内海の人々の信仰の対象として、また海で生活する人々の交通標識として役割を発揮していたと考えられます。後に舟運交通守護の神様として利根川水系、太平洋沿岸の舟運業に携わる多くの方々にも信仰され、交通安全の神様として篤い信仰を受けていました。

 

参照:大杉神社HP,大杉神社の歴史

URL:http://oosugi-jinja.or.jp/?page_id=8

 

 

天満宮。