日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

六ヶ岳 六獄神社上宮へ登った(その1) 福岡県宮若市龍徳・鞍手町長谷

2020年9月20日(日)に、福岡県宮若市龍徳と鞍手町長谷にまたがる六ヶ岳へとのぼってきました。正確にいうと六ヶ岳中腹にある「六嶽神社の上宮」へとのぼってきました。

 

六嶽神社の本宮自体は、鞍手郡鞍手町の室木という地区にあります(座標値:33.756386,130.663860)。この神社に参拝してから、六ヶ岳にあるという上宮へ参拝したいなとはおもっていました。

 

ただ上宮へどうやっていったらよいのかわからなかったので、何度か挑戦しながらも失敗におわっていました。2020年9月20日に、やっと六嶽神社上宮へたどりついたために、登山口や登山ルートなどを記録しておきたいと思います。

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六嶽神社上宮 福岡県鞍手町室木

まず六ヶ岳の山頂である旭岳と、六嶽神社上宮の位置関係を示してみます↓

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旭岳の東側、約480mの地点に六嶽神社上宮があります。六ヶ岳山頂である旭岳から尾根をつたって六嶽神社上宮へいくことができますが、ふもとからの登りやすいルートは鞍手町室木にある登山口から直接、上宮へいくルートです。↓下図にそのルートを示します。

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半月ほど前、このルートで六嶽神社上宮をめざしたときは、クモの巣や雑草、倒木などにはばまれ、ひきかえしました。しかし2020年9月20日に登ったさいは、倒木や雑草などがだいぶ取り除かれていました。登山道がかなりきれいに整備されていました。おかげで、とても楽に上宮をめざすことができました。

 

室木登山口は↓下の写真のような橋をわたって山へとはいっていきます。下の道路は県道475号線です。

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この橋にたどりつくには、県道475号線から分岐している「藤井精工(株)」へむかう道路へと進みます。下の写真のように分岐をすこしはいった場所に登山口があります。

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以前は倒木で登山道がふさがれていましたが、今回の登山では倒木はとりのぞかれていました。写真のように道ははっきりとしており、とても歩きやすかったです。整備をされているかたに感謝いたします。クモの巣はありましたが、もってきていたスティックでとりのぞきながら進んでいきました。

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ながくなるので今回の記事では、ここまでとします。六嶽神社上宮についた後は、上宮から六ヶ岳山頂である旭岳までいけるのか試してみたかったので、峰周りをおこないました。

 

山頂である旭岳から羽衣の峰までいったことがあるのですが、羽衣の峰から六嶽神社上宮までのルートがあるのか不明でした。そのため六嶽神社から羽衣の峰まで、今回の登山ではいってみました。

 

その様子も、今後、ご紹介したいとおもいます。下の図は各峰(上宮~旭岳)を周るルートを示したものです。参考にされてください。

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大威徳明王像とともにまつられている庚申塔 大分県杵築市大田波多方

大分県 国東半島、杵築市の大田波多方という地区に大威徳明王像とともに祀られている庚申塔があります。

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場所:大分県杵築市大田波多方

座標値:33.475064,131.555443

 

名のない道の傍らに、小川をはさんで向こう側にまつられています。↓下の写真だと右端に庚申塔がうつっています。

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一面四臂の青面金剛のかたわらにニ童子がひかえています。そして青面金剛の足の下にニ猿二鶏がきざまれています。さらに、ニ猿の下には庚申講のメンバーの名がきざまれているようです。

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↓庚申塔にむかって右側面に享保十六年

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↓左側面にも文字が確認できますが、「??月願日」と刻まれているのでしょうか?文字の彫りは深く、文字ははっきりと残されているのですが、クセのある形なのか何と刻まれているのかがわかりません。

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享保十六年という文字は確認できたので、建立年はわかりそうです。西暦になおすと1731年、干支は辛亥(かのとい)です。

山王宮のいっかくに祀られている庚申塔② 大分県豊後高田市上香々地

前回(2020年9月21日)の記事でご紹介した庚申塔は、石塔群の一基であることをご紹介しました。小林幸弘氏のホームページ『国東半島の庚申塔-13057-』を参照すると、これらの石塔群は”いずれも庚申塔と伝えられている”ということです。

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わたしは気づかなかったのですが、写した写真のなかに、もう一基、庚申塔の文字が刻まれている石塔がまじっていたようです。

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場所:大分県豊後高田市上香々地

座標値:33.631667,131.537143

 

この庚申塔は『国東半島の庚申塔-13057-』には以下のように紹介されています。

 

日枝神社の境内にずらりと並ぶ石塔群の一基。梵字種子が刻まれていたと思われる上部の円、日月と思しき二つの小円がある。この石塔群はいずれも庚申塔と伝えられている。

 

これまであまりみたことのない形態の庚申塔です。

山王宮のいっかくに祀られている庚申塔 大分県豊後高田市上香々地

大分県 国東半島の庚申塔を調査しつづけておられる小林幸弘氏が運営されるホームページ『国東半島の庚申塔』。こちらで紹介されている庚申塔をめぐってみました。今回は、豊後高田市の上香々地にある山王宮です。

 

参照:『国東半島の庚申塔-豊後高田市香々地地区の庚申塔所在地一覧-

 

山王宮のいっかくに↓下の写真のような文字塔がまつられていました。

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場所:大分県豊後高田市上香々地

座標値:33.631673,131.537142

 

山王宮は日枝神社のすぐとなりにまつられています。↓こちらは山王宮の鳥居です。

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↓日枝神社側から山王宮をながめた写真です。写真の右側に山王宮の鳥居がみえています。山王宮の境内は雑草が繁茂しています。問題となる庚申塔は↓下の写真の左側のほうにありました。

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山王宮のいっかくに石塔がずらっとならべられています。

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これらの石塔がなんであるのか不明です。なにか神様をまつったものでしょうか。

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これらの石塔のひとつに↓こちらの庚申塔がありました。

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とても文字が読み取りにくいのですが、なんとか「奉修庚申石??」という文字が刻まれているのがわかります。小林幸弘氏のホームページ『国東半島の庚申塔-13056-』を拝見すると”「奉修庚申石二世□□」の文字が刻まれている”と紹介されています。雑草でみえなくなっていますが、庚申という文字のしたに、さらに文字が刻まれているようです。

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ユニークな表情をうかべる浮彫りの仁王像 大分県豊後高田市上香々地

久しぶりに大分県 国東(くにさき)半島へ庚申塔(こうしんとう)をさがしに訪問しました。その際に、豊後高田市の上香々地(かかじ)という地区にある日枝神社をおとずれました。日枝神社境内で、写真のようなとても国東らしい素朴な印象をうける仁王像にであうことができました。f:id:regenerationderhydra:20200920052107j:plain

場所:大分県豊後高田市上香々地

座標値:33.632181,131.537360

 

日枝神社 本殿のすぐ左となりに石祠があり、その石祠の両隣りに仁王像はまつられていました。

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仁王像は阿吽どちらの像も健在です。ただ吽形のほうは樹木の影にかくれてしまい、正面から拝見することはむずかしかったです。

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日枝神社の仁王像は、薄い石の板に浮彫りされています。吽形のほうは後方へたおれないよう、支えが設置されています。

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仁王像の周囲をわたしがみた限りでは建立年などの銘が刻まれているのは確認できませんでした。

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六ヶ岳 六獄神社上宮への挑戦と失敗 福岡県宮若市龍徳・鞍手町長谷

2020年9月13日(日)に、福岡県鞍手郡・宮若市にまたがる六ヶ岳に登りました。目的は、六ヶ岳の中腹にあるという「六獄神社上宮」を参拝するためです。結論としては、六獄神社上宮に参拝することはできませんでした。

 

登山途中で天候が崩れたことと、上宮へ至ると思われるルートが不明瞭だったからです。

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これまで数度、六ヶ岳に登っているために、まずは登り慣れているルートを使って山頂である旭岳をめざしました。登山口は鞍手町の長谷という地区(座標値:33.753572,130.678232)です。

 

9.13の記録をざっと示すと↓以下の赤線のようになります。いちど山頂である旭岳に登ったあと、西北西へとおれまがっています。これは六ヶ岳の湯文字山と、羽衣の峰という別峰にいったためです。

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湯文字山、羽衣の峰の位置を示すと以下のようになります。

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このようなルートをだとったのは、「羽衣の峰から六獄神社上宮へいけるのではないか」と考えたためです。実は、半月ほどまえに六獄神社上宮へ別ルートで挑戦していました↓ 下の図の赤線で示したルートです。このルートを途中まで登ったのですが、クモの巣がたくさん張っていて、杖などをもっておらず、軽装であったので途中であきらめて引き返しました。

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そのため山頂(旭岳)のほうから下山するかたちをとって、六獄神社上宮へいけないかとおもったのです。今回、羽衣の峰までいった際、雨が本降りとなったために下山することとしました。

 

羽衣の峰からさらに↓下の赤線のように、峰づたいで上宮へとすすめそうですが、どうでしょう。また天候のよいときに挑戦したいと思います。

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ちなみに羽衣の峰はこんな感じです↓ 樹々におおわれ眺望はありません。こちらの登山道もあまり人がこないようで、クモの巣がはりめぐらされていました。クモの巣をはらうためのスティックは必須だとかんじました。

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羽衣の峰

場所:福岡県鞍手町大字長谷

座標値:33.748637,130.679294

 

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羽衣の峰の先に、崎門岳と書かれた看板があり、登山道がのびていたため、再挑戦の際はこちらをすすんでみたいと思います。

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到津八幡神社の庚申塔 福岡県北九州市小倉北区上到津

北九州市小倉北区の上到津(かみいとうず)にある到津(いとうず)八幡神社に庚申塔がまつられているのをみつけました。到津八幡神社は東側の入り口が正面の入り口のようですが、↓下の写真の鳥居は北側入り口のものです。北側入り口にはひろい無料駐車場があります。

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場所:福岡県北九州市小倉北区上到津

座標値:33.878401,130.853548

 

北側鳥居のすぐそばに「猿田彦大神」と刻まれた庚申塔がまつられています。猿田彦大神という印刻された文字には金色の染料がつけられ、とてもみやすいです。

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庚申塔にむかって左側面に、文化八年辛二月十二日建 到津下村講中、と刻まれています。文化八年は1811年で、干支は辛未(かのとひつじ)です。

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