日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

武家屋敷がたちならぶ高台 大分県杵築市

大分県の杵築市(きつきし)は全国でもめずらしい構造をもった城下町があります。南北に高台があり、その高台にはさまれるように谷があります。高台には武家屋敷がならび、谷には商人の町がつくられました。

 

その特殊な構造の城下町なので「サンドイッチ型城下町」と呼ばれています。こんな呼び名を持つ城下町は全国でもここだけのようです。

↑この写真は武家屋敷が並ぶ高台を遠くから写したものです。

 

場所:大分県杵築市猪尾

座標値:33.4112518,131.6211689

 

杵築の町のとなりには八坂川が流れていますが、その八坂川をはさんで対岸から杵築の町(高台)を写しました。この景色から右側へ視線をうつすと、小さく杵築城がみえます。杵築城のすぐ東側にはカブトガニで有名な守江湾(もりえわん)がひろがっています。

富貴寺ちかくにある素朴なつくりの地蔵磨崖仏 大分県豊後高田市

大分県の豊後高田市に住んでいたとき、紅葉の時期や、夏のライトアップの時期など、ことあるごとにたびたび通っていた富貴寺(ふきじ)。今回、ご紹介する地蔵磨崖仏(じぞうまがいぶつ)は、富貴寺の南西約500mの場所に祀られています。たびたび足を運んでいた富貴寺ですが、このような地蔵磨崖仏がちかくにあることは知りませんでした。

場所:大分県豊後高田市田染蕗

座標値:33.534068,131.521456

 

このステキな地蔵磨崖仏のことを知ったのは豊後高田市のホームぺージを拝見していたときです。「石造地蔵菩薩坐像」について調べていたとき、同ページに地蔵磨崖仏についても紹介されていました。その紹介文によると、この地蔵磨崖仏が祀られているお堂は「中村地蔵堂」と呼ばれているようです。

中央の地蔵菩薩の両隣りには男女の磨崖仏が刻まれているということです。磨崖仏に向かって左側の像は比丘尼(びくに)の容姿をしています。左側が女性の磨崖仏なのですね。この磨崖仏は歯の痛みにご利益があるそうです。

 

中村地蔵堂は車道から少し高い場所に作られていて、急な石段を登っていく必要があります。

地蔵堂へ続く階段は、登りはじめの7段ほどはコンクリート製の階段ですが、それ以降はずいぶん昔に作られた石段となっているようです。

 

中村地蔵堂は、民家の間にはさまれていて、車を走らせながら地蔵堂を探していると、見逃してしまいそうな存在感です。

 

↓中村地蔵堂前から富貴寺方面を眺めたとてものどかな風景です。富貴寺までは、国道や県道などの名前がついていない道路がつづいています。

道幅は比較的広いので、中村地蔵堂へいく場合は、道の端っこに車を停めて拝観しにいくことができます。大分県の田舎地方へいくと、車通りが少なく土地も広いので、駐車場所にあまり困ることがありません。大分県で史跡巡りをする際のありがたい面です。

夜叉(やしゃ)が刻まれた庚申塔 大分県豊後高田市夷(えびす)

古いお寺跡に残されたちいさな石造り仁王像」というタイトルで、前回、ご紹介した記事。この記事では渓口庵(けいこうあん)というお寺跡へ行きました。行った目的は仁王像に会うためでしたが、たまたま庚申塔(こうしんとう)も見つけることができました。仁王像があった場所から、さらに林道に沿って数m南下した場所に庚申塔は祀られています。

 

林道に沿って歩いていると、右側の斜面の林のなかに庚申塔をみつけることができました。庚申塔を近くでみるためには、小さな樹々をかきわけ、斜面をよじ登る必要がありました。

場所:大分県豊後高田市夷

座標値:33.623239,131.542559

 

一面六臂(いちめんろっぴ:1つの顔に6つの腕)の青面金剛が主尊。二童子、二鶏、三猿が刻まれます。あまり見慣れない像が青面金剛の足元正面に刻まれています。その像は、からだの正面で剣のようなものを両手で把持し、地に剣をつきたてているようにみえます。

 

この像はなんなのでしょう?小林幸弘氏の運営する「国東半島の庚申塔」を参考にさせていただきます。 「香々地町庚申塔所在地一覧」の25番に、この庚申塔が紹介されています。それによると剣を把持した像は夜叉のようです。

 

また、わたしは確認できなかったのですが、庚申塔には建立年月も刻まれていたようで、宝永七年…つまり西暦1710年に造られたそうです。思わぬ出会いでした。

古いお寺跡に残されたちいさな石造り仁王像 大分県夷(えびす)

以前、九州国立博物館で開催された展示会で購入した『大分県国東宇佐 六郷満山展~神と仏と鬼の郷~』を読み返していると、とても魅力的な石造仏をみつけることができました。

P94に紹介されている仁王立像(におうりゅうぞう)。この写真に紹介されている像は大分県宇佐市の県立歴史博物館で展示されています。仁王像の阿形(あぎょう)のほうです。

 

P94の紹介文を読むと吽形(うんぎょう)のほうは、いまでも豊後高田市の夷(えびす)という地区に、当時のまま存在しているとのことです。その昔、この仁王像がある場所には「渓口庵(けいこうあん)」というお寺があったそうです。

 

なぜ吽形のほうは博物館に移動されていないのか?文章を読む限り、その理由は明記されていませんが、どうも吽形の破損がひどい状態だからと考えられます。

 

本像と対をなしていた吽形像が残っているが、翻る天衣の大半や左手首先などを欠く。

 

九州国立博物館での展示会では、阿形のほうは拝観しましたが、吽形のほうはまだです。ぜひひと目みてみたいと思い立ち、会いにいってみることにしました。

 

手掛かりは

・豊後高田市 夷 前田という地区にある

・渓口庵というお寺があった場所

…という2点です。

 

ネットで調べてみると、こちらのサイトで詳細な場所まで紹介してくれていました。

 

渓口庵 仁王像(吽形)の場所

場所:大分県豊後高田市夷

座標値:33.6232019,131.5426861

 

県道708号線から林道に入り込みます。県道708号線からは約50m、林道をのぼっていくかたちとなります。↓下の写真は県道708号線上で、林道入口を撮ったものです。進むべき道は左側です。林道入口のみ、コンクリートで舗装され白くなっています。

ちょっと引いて写真を撮ったものです↓ 看板があります。吉田光由の墓、渡辺藤兵衛の墓についての案内看板です。

ここから約50m林道をあがると右側に三体の石仏が祀られる石祠と、めざしていた仁王像らしき石仏が祀られています。

↓想像していた以上に仁王像の状態は悪いものでした。参考にさせていただいたサイトの写真では仁王像の首はあったのですが、2019年3月16日時点では、首はなくなっていました。

『大分県国東宇佐 六郷満山展~神と仏と鬼の郷~』の情報どおり左手首は欠損しているのがわかります。からだじゅうに苔がつき像の細かい彫刻は判別しにくくなっています。

像の高さはおよそ80㎝と思われ、2歳の子どもくらいの大きさです。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した板井という石工の関係者が造ったものと推定されています。

 

仁王像周囲には他にもたくさんの石仏が祀られ、たくさんの石垣がつらなっていました。これらの史跡はもしかしたら渓口庵(けいこうあん)の跡の一部なのかもしれません。

水神社の庚申塔 大分県杵築市三川

国東半島の庚申塔を880基以上調査されている小林幸弘氏。その小林氏よりいただいた資料(杵築市誌)に掲載されていた庚申塔を探しに、大分県杵築市へ行ってみました。今回さがした庚申塔は杵築市誌P589に紹介されています。その情報によると…

 

三川(水神社)にあって、造られた時代は江戸後期(記銘はないそうです)駒型をしているとのことです。↓駒型はこのような形

Google mapで杵築市三川水神社をさがしてみてもヒットしなかったので、国土地理院地図の地形図で神社マークをさがしてみました。三川という地区には神社マークはなかったので、ひとまず現地へいき三川という地区を歩いてさがすことにしました。

歩き始めて数分後、小さな神社らしき建物があったので、立ち寄ってみると運よく「水神社」との表示が確認できました。

この社の裏側に二基の石塔と一基の石祠が祀られていました。

場所:大分県杵築市猪尾

座標値:33.4067565,131.6217738

 

この石塔のなかで駒型といえば、一番右側にあるものと考えられます↓ 杵築市誌の情報には”劣化激しく像容不詳”とあります。その情報どおり、石塔表面に刻まれている文字や像などは確認できません。側面背面も確認できませんでした。

杵築市誌の情報どおりであれば、この石塔は江戸後期に造られた庚申塔と判断されます。

 

同様に、左端にある四角型の石塔にも刻まれているものは確認できませんでした↓

この石塔が何であるかは不詳です。杵築市誌P589には、水神社の庚申塔のほかに、三川(中園)の庚申塔も紹介されています。もしかしたらその庚申塔かも…と想像してみましたが、杵築市誌の情報では”正徳六年丙申”の文字と青面金剛が刻まれているとのこと。調査された当時から急にここまで風化することはないと考えられますので、三川(中園)の庚申塔ではないようです。

 

最近知ったことなのですが、Google mapで今回の水神社が登録されていないような場合、情報を追加登録することができるようです。杵築市の水神社も登録してもらえるようGoogle mapへ申請したところ、すぐにメールでの(自動)返答がきました。”「水神社」を公開しました”とのことです。地図上で反映されるのは最大24時間かかるそうです。

秋芳洞の見どころ⑪/⑪ クラゲの滝のぼり 洞窟内写真を撮った方法

秋芳洞(山口県美祢市秋芳町 秋吉)で、歩いて観光することができる場所の全長は約1km。今回はその最後の部分…正面入口から約900m地点にある「くらげの滝のぼり」「竜ノ抜穴」「五月雨御殿」の写真をご紹介します。このスポットは地上に降った雨水が、鍾乳洞内に流れ落ちてくる場所のようで、高い天井から深い穴へと抜ける竪穴と雨水で削られてできた独特な岩の造形が特徴でした。特に、大きな竪穴が特徴の五月雨御殿は圧巻でした。

↓まずはこちら「くらげの滝のぼり」。くらげが先を争って滝を昇るような姿から、この名前がつけられたそうです(参照:音声案内)。岩壁からしみだしてきた地下水がつくりだした生成物で、滝状石灰華(たきじょうせっかいか)と名前がつけられています。
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秋芳洞内の洞窟生成物のことをしらべていると、よく石灰華(せっかいか)という言葉でてきます。炭酸カルシウムが沈殿してできたものです。

 

↓こちらは「龍の抜穴」です。その名前のとおり高い天井にむかって巨大な竪穴がつくられています。これも地上から落ちてきた雨水(地下水)が流れ込んでいる痕です。
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この竪穴は現役のようで、雨がふると雨水がいきおいよく流れ込んでくるのだそうです。わたしたちが秋芳洞へいった日は小雨であったために、あまり流れ込んでくる水はなさそうでした。

 

この竪穴の上には、すり鉢状になったくぼ地(ドリーネ)があり、そのくぼ地に雨水が集まってくるのだそうです。石灰岩でつくられた台地に割れ目があり、その割れ目に沿って雨水が流れ、岩を溶かし、じょじょにくぼ地となったのがドリーネと呼ばれるものです。

 

↓そしてこちらが最後のみどころ。「五月雨御殿」です。五月雨という名前がついている通り、この場所では、他の地域と比べてたくさんの地下水が垂れてきていました。遊歩道にも地下水が降ってくる場所があるので、写真左下には天幕がはられ地下水を防いでくれています。
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五月雨御殿のスケールは大きく、足下にも深い竪穴がつづいています。これまでの行程では見上げることが多かったのですが、この場所ではのぞき込んで奇怪な岩の造形を楽しむことができます。

 

まとめ

秋芳洞はとても満足ができる場所でした。はじめは入場料1200円(大人)と聞いて、ちょっと高い?と思ってしまいましたが、そんな思いは入口を入るとすぐに吹き飛びます。雄大な自然を満喫できる場所です。

 

みどころの各所はライトアップされているので、スマホをやコンパクトデジカメでも写真を撮れると思います。

 

写真の鮮明さを求めるならば高感度の機能があるカメラがあるとよいかもしれません。これまでご紹介した写真はISO感度3200(シャッター速度1/4秒~1/10、F値4)でとりました。シャッター速度が1/60秒より遅くなると、手持ちでブレずに撮るのは困難と聞いたことがあります。そのため遊歩道の手すりや洞内のなどを利用して、カメラを固定しました。そうするとあまりブレず写真を撮ることができました。

 

できるだけ洞窟内を広くダイナミックに撮りたかったので広角レンズを使いました。わたしの持っている広角レンズだとF値が最小4までしかさがりません。明るく撮れるレンズではないので、できるだけズームをして撮らずに、パンフォーカスをしてほとんどの写真をF4で撮りました

 

パンフォーカスという知識がないころ「F値が低いとピントが手前から奥まではっきりと合わない」という固定観念があり、暗い場所でもF8やF11などで撮り、暗い写真ができあがってしまっていました。

 

今回の洞窟内での撮影は、F4でもパンフォーカスという技法を使えば、じゅうぶん鮮明な写真が撮れることを証明してくれました。

秋芳洞のみどころ⑩/⑪ 巌窟王

場所:正面入口から約700メートル地点

 

黄金柱を通り過ぎて、ちょっと狭い通路である、黒谷支洞のトンネルを抜けると、正面に巨大な石筍(せきじゅん)が姿を現します。

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通称、巌窟王(がんくつおう)と呼ばれます。石筍は、洞窟の天井から石灰分を含んだ地下水が滴り落ち、その石灰分が結晶化してタケノコのような石塔となったものです。

 

この石筍の上には、鍾乳石というツララ状の石塔が天井からさがっています。

 

ということは、この巌窟王の頭の上にも鍾乳石が垂れ下がっているはずです。確認してみます。

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黒くて確認しづらいですが、確かに鍾乳石が写真に写っています。石筍に比べて鍾乳石が小さいのは、大きくなった鍾乳石が自分の重みで落ちてしまったためと考えられています(参照:秋芳洞の自然観察P14)