日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

2021-01-01から1年間の記事一覧

泰雲寺にまつられる二基の庚申塔 大分県豊後高田市来縄

泰雲寺に二基の庚申塔がまつられる 秋葉大権現のお堂の前にまつられる 三基の石塔が、秋葉大権現お堂前にまつられています。右側二基が庚申塔です。いちばん左側の石塔は、二体の夫婦像が刻まれているようで、道祖神のようにみえます。 --------------------…

真玉川のそばにまつられる庚申塔 大分県豊後高田市大岩屋

はじめて見たとき、これが庚申塔だとは気づきませんでした。大分県豊後高田市をながれる、真玉川のすぐそばに巨大な岩が鎮座しています。 階段をおりてすぐそば 場所:大分県豊後高田市大岩屋 座標値:33.590222,131.523373 ガードレールのすきまから庚申塔…

真玉寺の境内にまつられる庚申塔② 大分県豊後高田市西真玉

真玉(またま)寺にまつられる二基の庚申塔のうち、もう一基の庚申塔をご紹介します。前回の記事『真玉寺の境内にまつられる庚申塔①』のつづきです。 真玉寺の山門にむかって左側。下の写真のような石祠とともに笠つきの庚申塔がまつられています。 石祠と並…

真玉寺の境内にまつられる庚申塔① 大分県豊後高田市西真玉

国東半島の北西部に位置する真玉(またま)寺。真玉寺には、二基の庚申塔がまつられています。今回の記事では、そのうち一基をご紹介します。 真玉寺内 2基あるうちの1基の庚申塔 場所:大分県豊後高田市西真玉 座標値:33.6017036,131.4757233 真玉寺は下の…

貴船神社にまつられる庚申塔 大分県豊後高田市来縄

今回、ご紹介する国東半島の庚申塔は、豊後高田市の来縄(くなわ)という地区にまつられているものです。 本殿にむかって左側にまつられる庚申塔 場所:大分県豊後高田市来縄 座標値:33.5422668,131.4466553 こちらの庚申塔のもとには、一度、おとずれたこ…

伊勢宮大神ちかくの庚申塔 大分県豊後高田市美和

ひさしぶりに、大分県の国東半島(くにさきはんとう)へ、庚申塔(こうしんとう)をさがしにいってみました。2021年10月2日の土曜日です。今回の訪問では、豊後高田市を中心に庚申塔をめぐりました。いちど以前に訪れた場所もふくめて7カ所の庚申塔にであう…

製塩業の発展をねがってつくられた塩竈神社 福岡県京都郡苅田町大字与原

福岡県の京都(みやこ)郡、苅田(かんだ)町に与原(よばる)という地区があります。ここに塩竈(しおがま)神社が鎮座します。 塩竈神社 拝殿 塩竈という名から想像できるように、むかしこの神社があるふきんには塩田がひろがっていたといいます。具体的に…

殿川ダムにまつられる庚申塔 福岡県京都郡苅田町南原

table { border-collapse: collapse; } th { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ff9999; } td { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ffffff; } thead th { background-color: #9B9B9B; } 殿川ダム…

高蔵山堡塁(ほるい)跡をたずねる 福岡県北九州市小倉南区大字吉田

『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102-103を拝読して、日清戦争後につくられた高蔵山堡塁(たかくらやまほるい)の跡にいってみました。山中にあるため、なかなかここまで行く時間がとれませんでしたが、平日に仕事の休みがとれた2…

福岡県ではじめてみた掩体壕(えんたいごう) 福岡県朝倉郡筑前町高上

table { border-collapse: collapse; } th { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ff9999; } td { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ffffff; } 『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.68-…

飛行第四聯隊(飛行学校)正門 福岡県朝倉郡筑前町原地蔵

飛行第四聯(れん)隊から、陸軍飛行学校へとひきつがれた敷地の入口に設置されていた門柱。福岡県朝倉郡にある「原地蔵公民館」敷地に門柱が保管されています。 公民館敷地の一角に保管されている門柱 場所:福岡県朝倉郡筑前町原地蔵 座標値:33.410703,13…

監的壕(かんてきごう)跡 福岡県朝倉郡筑前町原地蔵

大刀洗陸軍飛行場跡の一角に、コンクリート製の半円形の建物がのこっています。これは、航空機の射撃訓練の様子を監視員が監視するための建物で、そのユニークな形から「タコ坊主」ともよばれています。正式名は「監的壕(かんてきごう)」といいます。 参照…

憲兵分遣隊舎(けんぺいぶんけんたいしゃ)のレンガ塀 福岡県朝倉郡筑前町原地蔵

朝倉郡の大刀洗駅の南西約320m地点に、日本軍の警察としての立場である「憲兵」が駐留していた隊舎跡があります。敷地の周囲にはレンガ塀が残されており、レンガ塀には、アメリカの航空機から受けた機銃の弾痕も残されています。 参照:『新装改訂版 九州の…

旧「本陣橋」の痕跡と名前の由来 福岡県北九州市八幡西区陣原

北九州市八幡西区を流れる堀川と金山川が合流する地点ふきんに、明治時代、木製の「本陣(ほんじん)橋」が架けられていたといいます。その後、大正13年に木製「本陣橋」の北東130m地点に鉄筋の「本陣橋」があたらしく架けなおされました。 その鉄筋「本陣橋…

桃園公園 外壁に残る防空壕跡 福岡県北九州市八幡東区桃園

桃園公園北東部外壁に、防空壕が埋められた跡があります。 場所:福岡県北九州市八幡東区桃園 座標値:33.8664925,130.7834628 合計3回あった八幡空襲は、1回目・2回目は主に製鉄所などの工場を中心に焼夷弾が落とされ、3回目は社宅が主な標的となりました。こ…

爆撃をさけるため山間部に建てられた弾薬庫跡 福岡県福津市上西郷

「福津市 弾薬庫跡」というキーワードでGoogle map上にて検索すると、田んぼのなかにポツンとある建物がヒットします。 これが、1944年(昭和19年)から戦争が終わる1945年まで使われていた弾薬庫跡です。陸軍から弾薬庫建設の依頼があったのは1943年で、依…

戦時中 住宅地に墜落したプロペラ機で亡くなったかたの慰霊碑 福岡県北九州市八幡東区山王

北九州市の八幡地区では、第二次世界大戦において3回の大空襲がありました。 1944年(昭和19年)6月15日~6月16日 1944年(昭和19年)8月20日~8月21日 1945年(昭和20年)8月8日 参照:『あの日、1945.8.8 八幡で何が起こったか』P.8 2回目の空襲の際、日本…

北九州市若松区に2つだけ残る防空壕 福岡県北九州市若松区白山(はくさん)と修多羅(すたら)

戦争に関する史跡は、悲惨なエピソードが残っているというイメージがつきまとい、敬遠していました。戦争を体験したかたがたに話を聞き、戦争史跡がある現地におもむき、書籍などでその史跡について調べていくと、戦時中の詳細な歴史がみえてきます。 当時、…

駐車場の一角にまつられる庚申塔 福岡県北九州市八幡東区諏訪

table { border-collapse: collapse; } th { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ff9999; } td { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ffffff; } thead th { background-color: #8A8A8A; } 碑面 碑…

北九州に電気軌道がはしっていた記憶 福岡県北九州市八幡西区陣原

『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102に紹介されている”九州電気軌道境界石”を訪ねてみました。九州電気軌道は1911年(明治44年)から線路が敷かれはじめ、1929年(昭和4年)までの18年間に約40㎞の路線が完成しました参照。 わた…

惣牟田(そうむた)の石峯神社参拝 福岡県北九州市若松区大字小石

福岡県北九州市若松区の小石(こいし)という地区に、惣牟田(そうむた)という集落があります。若松区にある石峯神社の北側にある集落で、中世からの耕地景観が残るといわれる、北九州市でもめずらしい場所です(参照:PDF 北九州市若松区惣牟田集落の中世…

300人以上が犠牲になった小伊藤山防空壕跡 福岡県北九州市八幡東区尾倉

北九州市八幡東区の尾倉に、「小伊藤(こいと)山公園」という、やや大きな公園があります。JR八幡駅から南に約370mいった場所にあります。この公園の一角に、慰霊塔がたてられています。冊子『戦争体験を次世代に語り継ぐ~聞き書きによる74年目の記憶~※1…

金辺(きべ)川のちかくにまつられる庚申塔 福岡県田川郡香春町採銅所

table { border-collapse: collapse; } th { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ff9999; } td { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ffffff; } thead th { background-color: #919191; } 碑面 碑…

二又トンネル爆発事故 慰霊碑をみつけるために現地再訪 福岡県田川郡添田町落合

『九州の鉄道おもしろ史(弓削信夫著)』P.428-431で、1945年11月12日におきた「二又トンネル爆発事故」のことを知って、数度、現地をおとずれてみました。2021年8月25日に投稿した『二又トンネル爆発事故 慰霊碑をさがしたがみつからなかった』という記事を…

水の流れを維持するためにつくられた水路付き跨線橋 福岡県北九州市小倉南区大字呼野

『北九州歴史散歩 豊前編』P.159に、コラムとして「呼野駅の加速線跡」という鉄道史跡が掲載され、その関連史跡として「赤煉瓦造の水路跨線橋」が紹介されています。「赤煉瓦造の水路跨線橋」とは、谷になっている箇所に設置されている線路の上に、道路が橋…

田川四国東部 五十五番札所そばにまつられる庚申塔群 福岡県田川郡香春町採銅所

「田川四国東部 五十五番札所」のすぐそばに三基の庚申塔がまつられています。そのうち一基は文字は確認できず、”庚申塔らしい”という推察です。その古い庚申塔にむかって左側が、新たにつくりなおされた庚申塔ではないかと推測します。↓下の写真だと、一番…

八幡大空襲「戦災殉難者之碑」 福岡県北九州市八幡東区高見

1945年(昭和20年)の8月8日、福岡県北九州市の八幡に、たくさんの焼夷弾(しょういだん)が落とされ、約2500人の死傷者がでたといわれます。八幡には合計3回の空襲がありました。1回目は1944年6月15日~16日、2回目は1944年8月20日~21日です。3回目の1945…

国道500号線沿いにまつられる庚申塔 福岡県田川郡添田町落合

庚申塔の裏面には、願主名できしょうか?地名でしょうか?三つの名前が刻まれています。「岩渕」「(おそらく)保依原」「柿ヶ平」 碑面 碑面(建立年) 猿田彦太明神 大正十三年 二月 岩渕 保依原 柿ヶ平 建立年 干支 干支読み方 1924 甲子 きのえね 場所 …

二又トンネル爆発事故 慰霊碑をさがしたがみつからなかった 福岡県田川郡添田町落合

1945年11月12日、福岡県田川郡添田(そえだ)町で、296人が死傷する爆発事故がおきました。 参照:1945年に大事故があった二又トンネル この事故で犠牲になった方々の名前を刻んだ慰霊碑が、事故現場ちかくにある照光寺に設置されているいいます参照。以前に…

340年以上も使われ続けている水路【伊原水路】 福岡県田川郡添田町大字添田

『添田町の歴史的風致形成の背景(PDF)』を拝読しながら、田川郡添田(そえだ)町の史跡について調べてみました。P.27に、伊藤次郎衛門というひとが、干ばつに苦しんでいた添田地域に、私財をとうじて水路をつくったという記事が掲載されています。 場所:…