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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

300人以上が犠牲になった小伊藤山防空壕跡 福岡県北九州市八幡東区尾倉

北九州市八幡東区の尾倉に、「小伊藤(こいと)山公園」という、やや大きな公園があります。JR八幡駅から南に約370mいった場所にあります。この公園の一角に、慰霊塔がたてられています。冊子『戦争体験を次世代に語り継ぐ~聞き書きによる74年目の記憶~※1』を拝読していて、この場所にあった小伊藤山防空壕で300人以上のかたが亡くなったことを知りました。空襲があったのは1945年8月8日のことです。

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「ここはいいのう。命が助かる。近かったらここに逃げるのに」と、戦時中は小伊藤山防空壕は”安全な”防空壕として羨望の的だったといいます(参照※1 P.23)。

 

場所:福岡県北九州市八幡東区尾倉

座標値:33.865812,130.795806

 

小伊藤山防空壕は、「小伊藤山」という丘陵地に横穴をほってつくられた防空壕で、高さ30m、横幅は200m強あったようです参照。当時の八幡市では最大の防空壕でした。昭和11年の今昔マップで、防空壕があった場所を確認すると、たしかに北東から南西へと細長くのびる丘陵地帯が掲載されています(参照:今昔マップ)。

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1945年8月8日の空爆で、保蔵されていたインクや揮発性資材が引火したことや、周辺家屋の炎上による煙や炎により避難者のほとんどが犠牲になり、その数は300名以上とされる(引用:『あの日、1945.8.8八幡で何が起こったか』P.23)

 

今昔マップをみると、小伊藤山の周辺には、たくさんの住宅が立ち並んでいたことが確認できます。戦争当時は木造の建物がほとんどであったために、焼夷弾によってひきおこされる火災は、小伊藤山を取り囲むようにせまったと想像されます。火災によって生じた煙もすさまじく、防空壕内にもその煙が充満したと考えられます。

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空襲に関する説明板 2017年に設置された

この地を、わたしが訪問したのは2021年8月28日でした。空爆がおきた8月8日ではありませんでしたが、慰霊塔にはたくさんの千羽鶴や水がそなえられていました。

 

小伊藤山防空壕があった場所は、現在では美しい公園となっています。

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