『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102に紹介されている”九州電気軌道境界石”を訪ねてみました。九州電気軌道は1911年(明治44年)から線路が敷かれはじめ、1929年(昭和4年)までの18年間に約40㎞の路線が完成しました参照。
わたしも、通学などで、たびたびこの電車を利用していた覚えがあります。「到津(いとうづ)の森公園」という北九州市の動物園が、まだ西日本鉄道運営の「到津遊園」だったころがあります参照。到津遊園で夏期開催されていた林間学校へ、電気軌道で通っていた記憶がかすかにあります。その記憶はたのしく、ふんわり温かい記憶として残っています。
下の写真の”境界石”は八幡西区 陣原(じんのはる)にある旗頭神社の北側の路地端にのこっています。
境界石には「九州電気軌道」の文字をとって「九軌用地」と刻まれています。
場所:福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目
座標値:33.866521,130.733759
境界石がのこっている場所の周辺は、2021年現在、住宅地となっており電気軌道ははしっていません。しかし今昔マップで確認すると、境界石があるふきんの土地には、たしかに軌道がはしっていたことがわかります。しかも、このあたりには電気軌道の駅があったようです。
昔の地図と、現在の地図をみくらべてみると、「ここからは駅の敷地内ですよ。西鉄の敷地ですよ」ということを示す立て看板のような役目をしていたのではないかと考えられます。
下の2枚の地図は、加工していない地図(上)と、電気軌道がはしっていたところを赤破線で示した地図です。
①、②、③の番号は、下の写真をとった地点をしめしています。①の矢印は「そっちの方向をむいて撮った」という意味です。
軌道跡の両側には、古い商店が廃屋となって残っており、軌道に沿って多くのお店が営まれていたことが推測されます。
軌道跡を黒崎方面(東方面)にすすむと、軌道上に新しい家々が立ち並んでいることがわかります。軌道跡上に立ち並ぶ家屋の列は整然とした美しさを感じます。