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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

旧「本陣橋」の痕跡と名前の由来 福岡県北九州市八幡西区陣原

北九州市八幡西区を流れる堀川と金山川が合流する地点ふきんに、明治時代、木製の「本陣(ほんじん)橋」が架けられていたといいます。その後、大正13年に木製「本陣橋」の北東130m地点に鉄筋の「本陣橋」があたらしく架けなおされました。

 

その鉄筋「本陣橋」の橋柱が、現在つかわれている一番新しい「本陣橋」のすぐそばに残されています。↓こちらの写真が大正時代につくられた「本陣橋」の橋柱です。

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大正時代製「本陣橋」の橋柱 大正13年竣工の銘がある

場所:福岡県北九州市八幡西区陣原4丁目

座標値:33.869344,130.732788

 

↓下の写真は明治時代の木製「本陣橋」が架けられていた場所です。写真左側には2つの川が、ちょうど合流しています。手前が金山川(きんざんがわ)、向こう側が新新堀川です。

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明治初期まで船による渡場 明治初期から大正13年まで木橋があった

パノラマで写したものです↓写真右奥に新しく作られた「本陣橋」がかすかに見えます。この場所は昭和44年(1969年)ぐらいまで、地図上に「渡場」という文字が残っていました。明治時代に木製の橋が架かるまでは、渡し船が運航されていたため「渡場」といわれていました。

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陣原の渡場跡

ふきんに立てられている案内板の説明を抜粋します。

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【渡場の由来】

この一帯を渡場という。かつて陣原村と本城村を結ぶ渡船の渡しがあったことにちなむ地名である。

 

明治の終り頃に木橋が、そこに架けられ大正13年には、旧国道が開通し今の位置に鉄筋の橋としてその姿を変えた。

 

この場所は、古くから旗頭神社の夏祭りに、祇園山笠がお神輿のお下りにお供してお汐井とりの神事が行われ、秋には五穀豊穣、無病息災を祈願するお宮日に、幟ばたを掲げて村祭りを祝った。

 

幟を立てる石も昔日をしのぶ姿で再現された。村中に幟石が4ケ所あった一つである。

 

この石には明治38年と刻まれている。ここは、金山川と堀川が合流する地であり、淡水と海水が混じりあい魚影が濃く、川辺に茂る葦をまたいで高脚の四ツ手網の小屋が点在し、そこを帆掛け船が石炭、雑貨を積み帆走する景が昭和のはじめ頃まであった。

 

堀川は黒田藩政時代に182年の歳月をかけて、中間唐戸から水巻、折尾を通り疎水された人工運河である。

 

黒田藩が筑前の国に入国以降400年の歴史の中で、この地は渡場として、又船付場として住民の生活の拠点であった。

 

ここにその歴史と変遷を留める。ちなみに本陣橋の名の謂れは両村の二字をとってつけられている。

 

歴史愛好家 高野滋氏 寄稿

 

平成七年三月吉日 北九州市

 

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渡場跡から北東約130m地点に新しく作られた本陣橋がある

今昔マップで、本陣橋の移り変わりをみてみます。1枚目の古地図は大正11年のもので、本陣橋が鉄筋になる大正13年以前の地図です。そのため1枚目の古地図では、木製の本陣橋が掲載されていることになります。明治以前、船の渡場として機能していた場所に木製の橋が架けられたのですね。

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2枚目の古地図は昭和11年のもので、このときにはすでに鉄筋の「本陣橋」が架けられていたことになります。大正11年と昭和11年とでは、「本陣橋」の位置が変わっていることに気づきます。北東へ約130m橋の位置が移動しています。

 

大正11年の地図をみてみると、木製の本陣橋の南側には道が線路と交差し、さらに道が南東へクネクネとのびていることがわかります。2021年現在でも、その道は残っているので、実際に歩いてみました↓

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旧本陣橋から南下 道が鉄道と交差する箇所

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鉄道交差地点から南下すると古くから残る細路地へと道は続く

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昔から残る細道が南東へとのびる

昔から残っている道は、人馬は通れるくらいの道幅があればよかったので、とても細いということが認識できます。

 

参照した書籍

北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.102