『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.68-69に、「大刀洗飛行場北部戦争遺跡」のひとつとして掩体壕(えんたいごう)が紹介されています。掩体壕は、戦時中に飛行機や物資、人などを空襲から守るためにつくられた施設です。わたしが実際に掩体壕をはじめてみたのは、大分県宇佐市のものでした参照。宇佐市には海軍航空隊の基地があったため、数基の掩体壕が現在ものこされています。
福岡県で掩体壕がのこっていると書籍を読んで知り、実際にいってみました。
場所:福岡県朝倉郡筑前町高上
座標値:33.431448,130.616647
この掩体壕が、つくられた具体的な年は示されていませんが、おそらく1919年~1945年の約25年の間につくられたと考えられます。大刀洗飛行場がつくられたのが1919年で、太平洋戦争終結が1945年です。この間に大刀洗飛行場の戦争関連施設がつぎつぎとつくられたためです。
以下に、大刀洗飛行場の略歴を示します。
1916 | 大正5年 | 陸軍が飛行場開設を計画 |
1919 | 大正8年 | 大刀陸軍洗飛行場が開設 |
久留米憲兵隊大刀洗分遣隊が発足 | ||
1925 | 大正14年 | 飛行第4聯隊に昇格 |
1928 | 昭和3年 | はじめて軍機が出撃 |
1929 | 昭和4年 | 民間の日本航空輸送が大刀洗支所を設置 |
1937 | 昭和12年 | 養成校の色彩が濃くなる |
1938 | 昭和13年 | 大刀洗航空機製作所が建設 |
1939 | 昭和14年 | 大刀洗駅が開設 |
航空技術兵学校が開隊 | ||
1940 | 昭和15年 | 飛行第4聯隊が熊本県菊池飛行場に移駐 |
大刀洗陸軍飛行学校が開設 | ||
1943 | 昭和18年 | 甘木生徒隊2000人が入隊 |
1945 | 昭和20年 | 重爆撃機用のコンクリート製滑走路が完成 |
アメリカ軍の空襲により壊滅 |
『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.68に、この土地の所有者のエピソードが紹介されています。
「大刀洗空襲を語りつぐ会」の方が所有者に聞いた話によると、壕を造るときは、まだ麦が植えられた状態の畑を半強制的に取られ、戦後払い下げの時は三万円も支払わされたという。壕の上には1m程度の土が盛られ、木が植えてあったので、土の除去が大変だったとのことである。
掩体壕が、少し地面に埋まっているようにみえるのは、あえて地面にうもれるようにつくられていたのだということが、このエピソードからわかります。壕の上に土を盛り、草木をはえさせることで、上空から壕をみえにくくしていたと考えられます。
2021年現在、壕上側はもちろん、壕周辺の除草がされており、かなり力をいれて整備・保管されているように感じられます。