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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

福岡県ではじめてみた掩体壕(えんたいごう) 福岡県朝倉郡筑前町高上

新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.68-69に、「大刀洗飛行場北部戦争遺跡」のひとつとして掩体壕(えんたいごう)が紹介されています。掩体壕は、戦時中に飛行機や物資、人などを空襲から守るためにつくられた施設です。わたしが実際に掩体壕をはじめてみたのは、大分県宇佐市のものでした参照。宇佐市には海軍航空隊の基地があったため、数基の掩体壕が現在ものこされています。

 

福岡県で掩体壕がのこっていると書籍を読んで知り、実際にいってみました。

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掩体壕(えんたいごう)-航空機を爆撃から守る建造物

場所:福岡県朝倉郡筑前町高上

座標値:33.431448,130.616647

 

この掩体壕が、つくられた具体的な年は示されていませんが、おそらく1919年~1945年の約25年の間につくられたと考えられます。大刀洗飛行場がつくられたのが1919年で、太平洋戦争終結が1945年です。この間に大刀洗飛行場の戦争関連施設がつぎつぎとつくられたためです。

 

以下に、大刀洗飛行場の略歴を示します。

 

1916 大正5年 陸軍が飛行場開設を計画
1919 大正8年 大刀陸軍洗飛行場が開設
久留米憲兵隊大刀洗分遣隊が発足
1925 大正14年 飛行第4聯隊に昇格
1928 昭和3年 はじめて軍機が出撃
1929 昭和4年 民間の日本航空輸送が大刀洗支所を設置
1937 昭和12年 養成校の色彩が濃くなる
1938 昭和13年 大刀洗航空機製作所が建設
1939 昭和14年 大刀洗駅が開設
航空技術兵学校が開隊
1940 昭和15年 飛行第4聯隊が熊本県菊池飛行場に移駐
大刀洗陸軍飛行学校が開設
1943 昭和18年 甘木生徒隊2000人が入隊
1945 昭和20年 重爆撃機用のコンクリート製滑走路が完成
アメリカ軍の空襲により壊滅

 

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高さ:7.3m  幅:44m コンクリート厚さ:60㎝

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航空機の出入口とは逆側の出入口 入口幅:4.4m

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やや地面に埋まっているように見える

新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.68に、この土地の所有者のエピソードが紹介されています。

 

「大刀洗空襲を語りつぐ会」の方が所有者に聞いた話によると、壕を造るときは、まだ麦が植えられた状態の畑を半強制的に取られ、戦後払い下げの時は三万円も支払わされたという。壕の上には1m程度の土が盛られ、木が植えてあったので、土の除去が大変だったとのことである。

 

掩体壕が、少し地面に埋まっているようにみえるのは、あえて地面にうもれるようにつくられていたのだということが、このエピソードからわかります。壕の上に土を盛り、草木をはえさせることで、上空から壕をみえにくくしていたと考えられます。

 

2021年現在、壕上側はもちろん、壕周辺の除草がされており、かなり力をいれて整備・保管されているように感じられます。