「福津市 弾薬庫跡」というキーワードでGoogle map上にて検索すると、田んぼのなかにポツンとある建物がヒットします。
これが、1944年(昭和19年)から戦争が終わる1945年まで使われていた弾薬庫跡です。陸軍から弾薬庫建設の依頼があったのは1943年で、依頼から建設まで1年かかったということになります。
場所:福岡県福津市上西郷
座標値:33.746402,130.510237
現在は、ポツンという感じで建物がのこっていますが、当時、このあたりには弾薬庫・作業舎・兵舎などが建設されていて、現在残っているような建物が40数棟もあったといいます(参照:よかとこBY 上西郷の弾薬庫跡 動画案内)。下の写真は、1枚目の写真の2棟の建物とは少し離れた場所にある建物です。40数棟あった建物のひとつと思われます。
陸軍が買い上げた土地の広さは100ヘクタールとされています。100ヘクタールは1平方キロメートルの広さになります。
どうしてこんなに人里離れた場所に弾薬庫?と疑問に思いましたが、空から建物をみたとき、農業関連の施設と誤認させるために、あえて不便な場所に弾薬庫を建てた…ということを知り納得がいきました。
福津市の弾薬庫跡は、最寄りの駅であるJR福間駅から南東約2.8㎞もあります。1944年当時は、福間駅から弾薬庫近くまで引き込み線がつくられており、この軌道によって物資の運搬がされていました。
ここでは旧制宗像(むなかた)中学・宗像高等女学校の生徒が、学徒動員により働いており、「爆弾の運搬や弾磨きなどの作業」をおこなっていたといいます(参照:『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.37)。
「陸軍 上西郷 航空廠(しょう) 弾薬倉庫」というのが弾薬庫の正式名で、弾薬だけでなく、いろいろな軍用物資が保管されていたそうです。