大分県の国東半島(くにさきはんとう)。黒土という地区にまつられている庚申塔をご紹介します。今回のご紹介する庚申塔は山の中にまつられており、場所がわかりにくいです。小林幸弘氏からいただいた地図データをもとに訪れました。
まずは、庚申塔がまつられている場所の座標値を掲載します。
座標値:33.598644,131.565414
豊後高田市黒土の小河内という集落から、県道654号線に沿って北東に800mほど進むと、県道が654号線から653号線に切り替わります。
県道の切り替わり看板から、さらに北東へ50mほど進むと山中へとはいってゆけそうな、踏み跡がみえます。
▼山中へはいってゆけそうな踏み跡。
山中へとはいると、石垣がところどころに積み上げられており、むかしこの場所に集落があったと考えられます。
山をあがった場所から県道653号線を見下ろす▲
山をあがると平たく広い場所があります。
雑草や木々がはえているため、わかりにくいですが、広場になっています。広場の北側、山の斜面に庚申塔はまつられています。
1面4臂の青面金剛が主尊です。青面金剛の両脇に二童子がひかえます。
青面金剛の下側には、見ざる言わざる聞かざるの三猿、そのさらに下には二鶏がはっきりと残っています。
庚申塔にむかって右側面には、何も刻まれていないように見えます▼
庚申塔に向かって左側面には、享保十四己酉天 九月、と刻まれているように見えます。享保十四年は西暦1729年、干支は己酉(つちのととり)です。
小林幸弘氏のホームページを拝読すると、こちらの庚申塔は以下のように紹介されています。
廃村になった集落の畑だったろうと思われる場所で斜面にもたれかかるようにして立っている。苔に覆われた青さと相まって、青面金剛は異様な雰囲気を漂わせている。滑落して倒れていた塔を現在地に移して立て直したとのこと。
国土地理院地図で、庚申塔が祀られている場所を確認してみます。庚申塔がまつられている場所(赤丸で示す)のすぐそばを、北側の東狩場という集落にむかって道がのびていることがわかります。現場ではまったくそのような道は確認できませんでした。そのため、現在ではこの道はなくなっていると考えられます。
もしかしたら、県道があたらしくできる前は、この道が主につかわれていた道で、道の両側に田んぼや畑などがならんでいたのかもしれません。