戦争に関する史跡は、悲惨なエピソードが残っているというイメージがつきまとい、敬遠していました。戦争を体験したかたがたに話を聞き、戦争史跡がある現地におもむき、書籍などでその史跡について調べていくと、戦時中の詳細な歴史がみえてきます。
当時、どの場所で、どういうことが起きていたのか、少しずつ知っていくことは、その土地のことをさらに知る手がかりとなります。史跡がのこっている場所周辺は、昭和の景観がのこされていることも多く、むかしはこんな感じの街並みが広がっていたのか、と想像力をふくらませるきっかけにもなります。
『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.61-62では、北九州市若松区に2つだけ残っている防空壕が紹介されています。
↑上の写真は若松区の修多羅(すたら)という地区に残されている防空壕です。
場所:福岡県北九州市若松区修多羅1丁目
座標値:33.901583,130.802044
民家が建っているコンクリート製の土台部分に横穴が掘られています。大人が肩をせばめて、身をかがめながらやっと通れるという大きさの入口です。
入口には、むかし木製の扉がついていたのでしょう。現在は骨組みだけが残っています。木製の扉上部には「売物件」と書かれた古い張り紙がつけられています。防空壕の上にある木造の家屋には雑草が繁茂しており、人が住まなくなってかなりの年月が経っていることがわかります。
若松地区に残るもうひとつの防空壕は、白山(はくさん)地区にあります↓
場所:福岡県北九州市若松区修多羅1丁目
座標値:33.902649,130.803124
若松教会の南側にある駐車場のいちばん奥に防空壕は残されています。
斜面に横穴を掘り、入口付近をコンクリートで強化しているようにみえます。『新装改訂版 九州の戦争遺跡(江浜明徳著)』P.61には、内部の様子が撮影された写真も掲載されています。
2021年現在も、内部には清掃道具が保管されているようです。内部構造は途中でまがったものとなっており、「爆風の直撃を避けるためか」と推察されています。
防空壕探索のため、白山、修多羅地区をあるいていると、昭和時代から残る細い路地が迷路のようにのびていることに気づきます。町がつくられた当時は、徒歩が基本だったので、車が通れないような路地もみられます。
車が通れても軽自動車が一台やっと通れるほどの道幅です。
まさに”ひしめき合う”ように家屋が集まっています。1945年8月8日の空襲で若松地区でも、死傷者185名、被災家屋1173戸、被災者4500名という被害がでたといいます。このことから、現在の家屋の大部分は空襲の後に建てられたものと考えられるため、古いものだと76年ほどの歴史があると予想されます。
1945年(昭和20年)前後の北九州の町は、おそらくまだ自動車は一般的ではなかったため、当時の町並みを残す地区では、このように細い路地がたくさんみられるのだと考えられます。