大分県 国東半島の北部に伊美(いみ)というめずらしい名前の地区があります。この語源について『国東半島 北浦部の地名を歩く(廣末九州男著)』に詳しい解説が紹介されていました。
神を祀る特別な場所を「いみち(忌み地、斎地)」と呼び、ここから伊美(大分県国東市国見町)の地名がつけられました。
もともと「いみ」という単語は”心身を清浄に保ち、けがれを避けて慎むこと”ということ参照、”神への祭事を司ること”を意味し、後世にはその祭事を司る一族や場所をさすこともありました(参照:『国東半島 北浦部の地名を歩く(廣末九州男著)』P.20)
平安時代につくられた『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)に伊美の名はすでに表れているそうです。
国東半島、国見町にある伊美では、海上無事を感謝するため海人の奉斎する神が祀られました。海人の奉斎する神は入江の島に祀られていましたが、現在は陸続きとなり伊美八幡別宮となっています(参照:『国東半島 北浦部の地名を歩く(廣末九州男著)』P.121-122)
そのため国東における「いみ=伊美」という言葉は、もともと入江にあった島のみを指すものでしたが、明治8年に「浜村」「嶺村」「伊美浦村」が合併したとき、これらの地区をあわせた広い地区を「伊美」と呼ぶようになりました。
それにしても、この伊美八幡別宮のある場所がもともと島で、周囲は海であったとは驚きです。