2021年4月11日(日)に大分県国東(くにさき)半島の、国見町にある庚申塔(こうしんとう)をたずねました。その庚申塔は、丸尾峰太郎氏が運営されている『大分県の名所・旧跡・史跡のブログ』で紹介されていたもので、いちど私も実際にたずねてみたいと思っていた庚申塔です(参照:『伊美の文化財・史跡(国見町) その2』)
場所:大分県国東市国見町中
座標値:33.67286944,131.5957833
この庚申塔は「秋葉宮」の境内にまつられているものです。秋葉宮は国見町の東中という地区にある低い山に鎮座しています。山の標高は111mと山というよりも、丘ととらえてもよさそうなほど低い標高です。
その山を遠方からながめると下の写真のようになります。
秋葉宮はこの山の中腹あたり、標高41mほどの場所にあります。秋葉宮への参道入口は地点(座標値:33.67327222,131.5947416)にあります。下の写真のような「鹿嶋高一光義塔」と刻まれた石碑がめじるしです。
石碑の横から山の方向へ細い道がのびています。民家のすぐそばを通らせていただくために、恐る恐る進んでいきます。コンクリートで手作りされた坂道をのぼっていくと、お墓のちかくにある竹林入口につきます。
参道にはたおれた竹や、枯れ枝・枯れ葉が落ちておりとても歩きにくいです。ほんとうにこの道であっているのか強い不安がおそってきます。「秋葉社」という小さな看板や、丸尾氏の書かれた記事の情報がなければ、とても進んでいく勇気はでません。
秋葉社のものらしき石の鳥居がみえてくるとホッとします。
安政五年(1858年)の銘が刻まれた鳥居をくぐり、秋葉社にお参りをします。
拝殿の周囲をみわたすと拝殿の右側に石灯篭と2基の石塔がならんでいることに気づきます。
そのうちの一番左側がめざしていた庚申塔です。とても美しい状態で像容が残っています。塔全体に苔がむし、あわく緑色になっています。特に青面金剛(しょうめんこんごう)像の胴体部分から足元にかけて濃い緑です。
一面六臂(いちめんろっぴ)の青面金剛の足元には、微妙に上下位置がずれている二鶏二猿がいます。
青面金剛の両側には二童子。
青面金剛の左手の一本にはショケラが把持されてます。青面金剛の指一本一本や、着ている服のひだ、青面金剛の顔の表情まではっきりと刻まれ、それが現在にいたるまでのこっていることにおどろかされます。
青面金剛の頭上には月と雲。
庚申塔のまわりを確認してみても、刻まれている銘などはみあたりません。ホームページ『国東半島の庚申塔』を運営されている小林幸弘氏のサイトでも”残念ながら無銘”と紹介されており、詳しい建立年はわかりません。
参照:http://5884koshinto.my.coocan.jp/25kunimi/25040.html
秋葉社へと至る参道の途中でとった風景です。田んぼの向こう側にも山があります。国東半島の中央部から幾筋も谷がのび、その谷間に民家と田畑がひろがっています。この場所もそんな谷のひとつです。