日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

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六所宮にまつられる庚申塔群 福岡県糟屋郡新宮町 立花口

福岡県糟屋かすや新宮町しんぐうまち大字立花口たちばなぐちに六所宮が鎮座しており、この境内に7基の庚申塔が祀られていました。

 

境内の東側(駐車場側)に2基、西側(拝殿側)に5基の庚申塔が確認できました。



駐車場側の庚申塔二基

 

まずは駐車場側の2基をご紹介します。

2基の庚申塔にむかって右側の庚申塔です▼

正面には庚申尊天と刻まれています。むかって右側面に享保癸八年と刻まれているようです。しかし「癸」と「八」の部分は、はっきりと読み取れず不確かではあります。享保八年だとすると、西暦1723年で、干支かんし癸卯みずのとうです。

庚申塔にむかって左側面には、二月吉日と刻まれています。

 

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二基の庚申塔にむかって、左側の庚申塔です。こちらの庚申塔の正面の文字は剥落しており読み取ることができません。

むかって右側面に、宝暦五年と刻まれています。宝暦五年は西暦1755年、干支は乙亥きのといです。

庚申塔にむかって左側面には亥正月卄四日と刻まれています。「卄」は二十の異体字です。

 

拝殿側の庚申塔五基

庚申塔以外にも、木製と石製の祠、五穀神もまつられています。これらの石塔群にむかって左側から、ご紹介してゆきます。

 

いちばん左側の庚申塔です▼

庚申神と刻まれています。庚申塔にむかって右側面には文化十四□□歳ときざまれています。「□□」の部分ははっきりとよみとれませんが、文化十四年の干支が丁丑ひのとうしであるために、「丁丑」ときざまれていると考えられます。文化十四年は西暦1817年です。

庚申塔にむかって左側面には、正月吉日ときざまれています。

 

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次の庚申塔(らしき石塔)は前列、右側から数えて三基目の石塔です。

庚申塔らしき石塔と表現したのは、砂岩で建立されているためか、表面がほとんど剥落しており、文字が読み取れなかったためです。



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前列、いちばん右側の庚申塔です▼

庚申天ときざまれています。

 

裏側に、文政十三寅年、正月吉日ときざまれています。文政十三年は西暦1830年、干支は庚寅かのえとらです。

 

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最後に、後列にまつられている庚申塔二基です。

 

むかって右側の庚申塔には、庚申天ときざまれています。

いっぽう、向かって左がわの庚申塔には庚申神ときざまれています。

どちらの庚申塔にも建立年は刻まれていませんでした。

 

配置 位置 正面刻銘

建立年

(西暦)

干支 側・裏面情報等 状態・備考
東側 庚申尊天 享保[癸]八年 (1723) 癸卯 [左] 二月吉日 「癸」「八」の判読に不確実性あり
東側 (剥落) 宝暦五年 (1755) 乙亥 [左] 亥正月卄四日 「卄」は「二十」の異体字
西側 左端 庚申神 文化十四年 (1817) [丁丑] [左] 正月吉日 右側「文化十四[□□]歳」は干支と推論
西側 前列右3 (判読不可) (不明) - - 砂岩製と推測。表面剥落により情報欠落
西側 前列右端 庚申天 文政十三年 (1830) 庚寅 [裏] 正月吉日 側面に「寅年」の記載あり
西側 後列右 庚申天 (不明) - - 建立年の刻銘なし
西側 後列左 庚申神 (不明) - - 建立年の刻銘なし

 

判読可能な建立年は、享保8年(1723年)から文政13年(1830年)にかけての約100年間に分布しています。これは江戸時代中期から後期にあたり、村落単位での庚申講が制度として定着し、定期的な行事として機能していた時期と一致します。特定の期間に複数の石塔が継続して建立されている事実は、当該地域のコミュニティにおいて、講の運営に必要な人的・経済的資源がながいあいだ安定して維持されていたと考えられます。

 

正面の刻銘について、「庚申尊天」「庚申神」「庚申天」という3パターンの呼称が混在しています。複数の場所から集められた庚申塔群であると仮定すれば、呼称の混在は、元の各村落における信仰形態や、講を主導したローカルな宗教者の属性の違いを反映していると考えられます。