北九州市 小倉北区の日明(ひあがり)にある日明病院。その裏手に六地蔵が祀られています。この六地蔵には、とても悲しい言い伝えが残っており、そのエピソードにでてくる「一池妙蓮信女(法名)」を弔う墓石も六地蔵のとなりに祀られています。
場所:福岡県北九州市小倉北区日明(ひあがり)
座標値:33.890981,130.856800
日明(ひあがり)という地区は現在、海からは約2~3㎞の距離にあります。しかしこれは埋め立てられたためで、昔は日明は海岸線にちかい場所でした。
海岸線に近い場所であったため、日明には漁師が住んでいました。「一池妙蓮信女」は、その漁師の娘であり、”日明小町”とよばれるほど美人だったそうです(参照:『北九州歴史散歩 豊前編』P88)。
妙蓮は小倉藩の重臣にみそめられ6人の子どもを産みました。しかし夫の正妻が嫉妬し、6人の子どもを妙蓮の目のまえで撲殺してしまいました。妙蓮は発狂し、池で入水自殺をします。
この6人の子どもの霊を供養するために阿弥陀如来と六地蔵を、日明の人たちが昭和3年(1928年)に建立したそうです。
↑上の写真だと右の2つの石仏が阿弥陀如来と考えられます。右から2番目の石仏には「如来様」と記銘されているので阿弥陀如来でまちがいはないと思います。では一番右側の石仏は?
こちらも阿弥陀如来で、阿弥陀三尊(あみださんぞん)をあらわしているのではないかと考えられます。 阿弥陀如来がまんなかに配置され、その左右に観音菩薩と、勢至菩薩が配置されています。
六地蔵にはひとつひとつ花がとても丁寧に供えられ、とても大事にされていることがわかります。この六地蔵が6人の子どもたちを供養するためにたてられたのですね。
六地蔵が祀られるお堂にむかって、右側に妙蓮の墓石がたてられています。
妙蓮は6人の子どもたち母親です。
この墓石についても、こんなエピソードが残っています。
妙蓮の墓は漁村内にありましたが、無縁となって民家の踏み石になっていました。その民家で不幸が続いたため原因を調べたところ妙蓮の墓石だと判明し、六地蔵のそばに祀られることになりました(『北九州歴史散歩 豊前編』P88-89を抜粋)
日明という地区は、古い街並みが残っている場所で、細い路地がくねくねと迷路のように入り組んでいます。
ゆるい坂道をのぼりきった場所に六地蔵が祀られていました。周囲には古い建物が軒をつらねており、今回の史跡はまわりの建物の雰囲気とともに印象深いものとなりました。
周囲には駐車スペースがないために、100円パーキングに車を停め徒歩で移動しました。