
場所:福岡県京都郡苅田町与原
座標値:33.758278,130.981079
福岡県京都郡苅田町与原(よばる)に鎮座する白庭神社には、五基の庚申塔が祀られていました。鳥居に向かって右側に四基、左側に一基配置されており、いずれの石碑にも「庚申」と刻まれています。
まずは、鳥居に向かって左側にあった一基について。この石碑の向かって右側面には、「明治四十年正月立」と刻まれているように見えます。



明治四十年は西暦1907年です。干支は丁未(ひのとひつじ)です。
次に、鳥居にむかって右側に祀られている四基の庚申塔群についてです。

向かって左側からご紹介してゆきます。

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一番左側の庚申塔
庚申塔の両側面や裏面には建立年は確認できません。

台座部分に「建築者」の連名が刻まれています。ここにも建立年は確認できませんでした。

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左から2番目の庚申塔



庚申塔自体には、建立年は刻まれていませんが、台座部分に「大正四年三月建立」ときざまれています。大正四年は、西暦1915年、干支は乙卯(きのとう)です。
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左から3番目の庚申塔


こちらの庚申塔も台座に「昭和七年四月建立」と刻まれています。昭和七年は、西暦 1932年 で、干支は 壬申(みずのえさる) です。
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左から4番目の庚申塔



こちらの庚申塔にも台座に建立年が刻まれています。昭和六年二月建立と確認できます。昭和六年は、西暦1931年 です。干支は辛未(かのとひつじ)にあたります。
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| 建立年(和暦) | 西暦 | 前回の建立からの経過年数 |
| 明治40年 | 1907年 | ‐ |
| 大正4年 | 1915年 | 8年後 |
| 昭和6年 | 1931年 | 16年後 |
| 昭和7年 | 1932年 | 1年後 |
明治40年の建立では、苅田・北九州エリアでは八幡製鐵所の稼働(1901年)など工業化が急速に進む一方で、集落内では依然として庚申講のような、伝統的な相互扶助・信仰が、まだまだのこっていたのだと想像されます。
明治40年から8年という比較的短い期間での建立は、経済的な余力があったのでしょうか。あるいは集落の人口増や世帯の分離などにより、新しい講の組織や石碑の建立が必要とされた可能性があります。
16年の期間をへて、昭和6年・7年と立て続けに建立されています。当時の農村部では、閉塞感の中で「庚申信仰」という伝統的な祈りに、集落の安定や厄除けを託したのかもしれません。