日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

貯水池のいっかくに祀られる六地蔵 福岡県北九州市若松区頓田

福岡県北九州市若松区に頓田(とんだ)貯水池という、人の手でつくられた巨大なため池があります。北九州市で必要な水を確保するために1961年(昭和36年)に完成した貯水池です。

 

この貯水池のいっかくに、江戸時代にまつられたと思われるふるい六地蔵がまつられているという情報をえて、いってみることにしました(参照:『北九州歴史散歩 筑前編』P.33-34)

 

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場所:福岡県北九州市若松区頓田

座標値:33.914360,130.736991

 

この場所は、頓田貯水池の北東部に位置する駐車場からすぐの場所にあります。駐車場は地点(33.914245,130.736389)にあります。この駐車場から東方向へむくと、駐車場の右側に丘をのぼっていく細い道をみることができます。

 

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この道を50mほどすすむと↓下の写真のような墓地がみえてきます。比較的新しいお墓と、江戸期のふるいお墓があるようです。

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この墓地の奥…北側に六地蔵がまつられています。六地蔵にむかって右側には三基の地蔵立像がまつられています。三基の地蔵尊のうち二基は首がとれてしまっています。

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二基のうち一基は、とれた首が傍らに保管されており痛々しい感じがします。台座には「三田□□霊」という文字が確認できます。なくなったかたの名前が刻まれていたのでしょうか。

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この地蔵尊の台座、右側面にはかろうじて「嘉永」という文字がみえます。嘉永年間は1848年から1855年です。鎖国時代から幕末にかけての期間に、この地蔵尊はつくられたことがわかります。

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これら六地蔵と三基の地蔵尊にむかって右手側には墓石とおもわれる石が、樹の根元にころがっています。

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↓「大正九年六月廿二日」の文字がみえます。

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その隣の菩薩像には「寛政九巳九月二日」「釈恵」「光童子」と刻まれています。おそらく寛政九年(1797年)に亡くなった子どもさんを弔うための地蔵菩薩像だと考えられます。

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↓「今昔マップon the web(埼玉大学教育学部 谷 謙二)」で、頓田貯水池ができるまえの1922年~1926年の地図を確認してみます。この墓地とおもわれる場所は、「三郎丸」という地区で、標高30mほどの丘陵地であったことがわかります。

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1922-1926年の時代には、頓田貯水池ができる予定の地区は、丘陵地の間に田んぼがあり、その田んぼのなかにぽつりぽつりと民家がたっているようです。そして網の目のようにくねくねと、細い道が地区をはしっていたと想像されます。

 

その道ばたに、今回ご紹介した墓地がつくられていたようです↓ 墓地のちかくに、ひとつの集落があるようです。この集落だけの墓地とは考えにくので、頓田貯水池がつくられるために、各所にあった墓石や地蔵尊が現在のこの場所にあつめられたのではないかと考えられます。

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