福岡県古賀市のホームページを拝見していると、文化財のページにいくつか興味をそそられる史跡が紹介されていました。そのうちのひとつである「熊野神社 阿弥陀如来像板碑」を訪ねてみることにしました参照。
場所:福岡県古賀市筵内(むしろうち)
座標値:33.733374,130.501479
筵内(むしろうち)という地区に熊野神社が鎮座しています。熊野神社の参道階段をのぼりきると、左側にコンクリートブロック製の建物があり、ここに阿弥陀如来像板碑が祀られていました。
板碑の高さは、なんと1.4mもあります。板碑を目の前にすると、その巨大さと重量感に圧倒されます。板碑に阿弥陀如来像がきざまれていますが、だいぶ風化がすすんでいて、像容を確認するには目をこらさなければなりません。
以下は板碑のとなりに設置されていた案内板を参照した解説です。
この板碑は玄武岩でできており、岩の表面に阿弥陀如来像が線刻されています。
阿弥陀如来像は蓮花台のうえに立っています。
阿弥陀如来は胸の前で両手掌を上にあげ、人差し指と親指で輪っかをつくっているようです。「中品上生印」という印をむすんでいます。
そして頭のうしろには光芒をはなつ頭光をせおっています。
阿弥陀如来像の両側には「大勧進沙弥成佛彫手僧長命【左側】」、「右志為真贋並法界衆往生□□(極楽)建長七年乙卯二月十五日彼岸中【右側】」という文字が刻まれます。
文字については、もうほとんど読むことができなくなっていましたので、素人のわたしにとって案内板に書かれている紹介文だけが頼りです。
建長七年は西暦だと1255年です。2020年時点からだと765年も前の板碑で、ずいぶん古いものです。
古賀市の筵内(むしろうち)地区に疫病が流行した際、その疫病をおさめるために3基の板碑がつくられたそうです。今回ご紹介した阿弥陀如来像はそのうちのひとつです。
もともとこれら板碑は古賀市内をながれる大根川というめずらしい名前の川のそばに建てられました。それが洪水により流され、のちに熊野神社にうつされました。
3基の板碑のうち、もうひとつのものである薬師如来像の板碑は「古賀市筵内1384番地の5」に現在も祀られているそう参照なので、いずれ訪れてみようと思います。