『増補 水巻町誌』P.270‐291
この箇所の史料から、福岡県遠賀郡水巻町が、石炭により近代的なインフラと、人口増加を手に入れたいっぽうで、その裏側では環境破壊と農業の損失がすすんできたことが示されています。水巻町の住民が、鉱害と農業の損失への対応に苦慮し続けてきたという史料を以下、記述してゆきたいと思います。

1. 炭鉱開発に伴う人口の爆発的増加と産業構造の変化
明治末期から昭和初期にかけて、高松炭鉱などの開発により水巻村は、これまでになかった炭鉱景気で発展してきました。炭鉱の開発で、人口の急増と、住民の職業のおおきな変化がおきました。
大正期から昭和15年(1940年)頃にかけて人口が激増し、2万人を超えました。この増加の大部分は他市町村や県外からの流入者(炭鉱労働者など)であり、現住人口の7割が本籍以外の人々で占められるようになりました。
また、炭鉱が起きる前まで主流であった農業従事者の数が減少して、炭鉱業や、これにともなう商工業への従事者がおおきな割合を占めるようになりました*1。
その結果、大正5年には電気が点灯し、大正13年には遠賀川に橋が架かるなど、インフラ整備も急速に進みました 。しかし、上水道の急速な拡張により「炭鉱の地下深くの採掘によって村内の井戸水や地下水が枯渇してしまう」という悪い結果がでてきました。
石炭採掘による環境破壊(鉱害)は、村の基幹産業であった農業に深刻なダメージを与えました。地面が陥没して家屋が傾き、田畑の水が抜け、道路や水路が破壊される被害が多発したのです。農民が陥没した田んぼに水を引くため、水車を使って水を汲み上げる必要がでてくるなど、生活条件はとても悪くなりました。
この影響は数字にもあらわれています。「農家戸数」の内訳(表3-54)を見ると、昭和7年〜8年にかけては、農業だけでは食べていけず、炭鉱等で働きながら農業を営む「兼業農家」が「専業農家」の数を大きく上回っていました 。
しかし、(表3-54)をグラフ化すると、不自然な現象がおきています。

▲オレンジ色のグラフが「兼業農家」、青色のグラフが「専業農家」。昭和8年~昭和9年にかけて専業農家が急増して、兼業農家を追い越しています。
昭和9年(1934年)の統計を見ると、突然「専業農家」が急増し、「兼業農家」の数を逆転しているのです。この時期、炭鉱が不況だったのでしょうか? そうではありませんでした。事態は全くの逆。昭和8年に人口は1万人を超え、炭鉱側の給水需要増大に合わせてすぐさま水道の第二次拡張工事が実施されるなど、「爆発的な炭鉱大ブームの真っただ中」だということがわかります。
働き口がいくらでもある好景気の中、なぜ兼業農家が減り、専業農家に「戻る」人が急増したのでしょうか?
3. 農民の「農業への帰還」
町誌の「鉱害被害」の項目(282、283ページ)に「答え」が記されています。
「昭和八、九年と復旧事業を実施した」
つまり、陥没や水枯れによって農業ができなくなり、仕方なく炭鉱で働いて食いつないでいた農民たちの田畑が、昭和8年と昭和9年の国の復旧事業によって、農業ができる農地が復興しました。
炭鉱景気が最盛期ではありました。しかし、国庫補助による農地の復旧工事が完了したことで、炭鉱での労働を辞め、念願だった自分たちの田畑へ戻ることができました。そして、農業一本で生きていけるようになった農民たちが一気に増えました。
統計グラフが示した昭和9年の「専業農家の急増」は、農民たちが、先祖代々の土地を取り戻したデータだったのだと考えられます。

▲青グラフは「水田陥落による稲作被害総反別」、緑グラフは「悪水による稲作裏作被害総反別」、オレンジグラフは「陥落による裏作・畑作被害総反別」。水巻は主に、「水田陥落」がおきていることがわかります。

▲赤グラフは「家屋被害屋敷数」、紫グラフは「枯渇した井戸個数」。家屋被害数が多かったのは「香月(かつき)」地区や「中間(なかま)」地区であったことがわかります。
4. つづく鉱害復興交渉と「町」への移行
一度の復旧で全てが解決したわけではありません。昭和17年〜18年の「炭坑交渉日記」*2には、家屋の修繕や陥没した農地の復旧、裏作の補償などを巡り、地元住民や役場が会社側と、連日のように交渉を重ねていた様子が記録されています。
こうした交渉を続けながら、人口が2万人を超えた水巻は、昭和15年(1940年)に「水巻村」から「水巻町」へと昇格します。しかしこの時期は戦時体制のなかでありました。
まとめ
- 明治末期からの炭鉱開発により水巻村は好景気に沸き、昭和15年には人口が激増して2万人を突破した。
- インフラが急速に整う一方、炭鉱の深く掘り進めた採掘が原因で地下水や井戸水が枯渇する被害が起きた。
- 地盤陥没や田畑の水抜けなど深刻な鉱害が多発し、農業ができなくなった農民はやむを得ず炭鉱で働いた。
- 昭和8・9年の復旧事業で農地が直ると、好景気の炭鉱を辞めて専業農家に戻る人々が急増し農業が復活した。
- 復旧後も会社との補償交渉は続き、苦難の中、昭和15年に水巻は村から町へ昇格し戦時体制へと突入した。