大分県道34号線から外れて1㎞ほど南にくだると、小さな溜池がみえてくる。その溜池のほとりに神社がある。徳間貴船神社。この神社境内の社殿ちかくに、でんと祀られているのが青面金剛(しょうめんこんごう)の刻まれた庚申塔(こうしんとう)。
場所:豊後高田市来縄(くなわ) 徳間
髪の毛が逆立ち、腕が複数ある容姿はやっぱり奇妙。はじめて庚申塔に出会ったとき、この奇妙な容姿と「よくわからない」感じに心ひかれました。
でもだんだんその背景がわかってくると、今度は庚申塔にはどんなバリエーションがあるのか興味がわいてきました。
庚申塔の由来については以前にまとめてみました。
定期的に開かれる庚申講という集まりは、村のなかで生活するうえで参加が義務であり、脱退なども許されなかったそうです(「国東半島の石造美術(酒井冨蔵 著)」)。これを知ると、庚申塔に向き合いながら、なんだかちょっと息苦しさを覚えてしまいました。
↑一面六臂(いちめんろっぴ)…つまりひとつの顔に6本の腕
↑塔身下部には、二羽の鶏と二匹の猿が刻まれている。平均的な庚申塔は二匹の鶏と三匹の猿が刻まれる。この徳間の庚申塔のように猿の数が二匹であったり…または鶏が1匹であったり、ぜんぜんなかったりと、その数はばらばら。
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でもどうして鶏と猿が刻まれているのか?それは「国東半島の石造美術(酒井冨蔵 著)」に詳しく書かれています。
まず猿について…
要約すると、いわゆる「見ざる、聞かざる、言わざる」の三諦思想(さんたいしそう)に基づくものといわれています。
悪いことを見るな、聞くな、語るなといさめたものといわれています。
また、猿はもともと神聖な動物として扱われていて、山の神の使者とされていたために庚申塔と結びついたと考えられています。この猿神信仰はずいぶん古くからあったもので、民間信仰では庚申と結合して、庚申塔に三猿があらわされるようになったのだそうです。
↑享保13年(1728年)の文字が刻まれる
そして鶏については…
・とき(時間)をつげる
・夜を徹する人々を眠らないようにするため
・干支(えと)で申(さる)の次が酉(とり)だから
などなど色々な説があります。
でも、もともと猿と同じように鶏も古くから農民の信仰のなかで、「時をつげる」…「夜明けをつげる」という意味から、重要な位置を占めていました。ここから庚申塔に鶏も刻まれるようになったとされています。
↑こちらの文字はかろうじて「七月」という文字が見える程度。風化がはげしくてその他の文字は判別できなかった
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神社周囲には田園が広がり一見牧歌的な景色。訪れたこの日は曇りで、写真を撮っているとぽつりぽつり雨が降ってきました。