福岡県遠賀郡の芦屋町にある、白浜町児童公園の一角に、「大國主大神」と刻まれた石塔がまつられています。
場所:福岡県遠賀郡芦屋町白浜町
座標値:33.892628,130.661695
大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)は、日本の神話、特に『古事記』や『日本書紀』において中心的な役割を果たす神さまです。大国主大神は非常に多くの異名を持つことで知られている。例えば、大穴牟遅神(おおなむちのかみ) 、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)などが挙げられます。
『古事記』によれば、大穴牟遅神は大国主大神の本名とされ、「大穴」とは大神が生まれたとされる出雲の大穴山を、「牟遅」とは大神が持っていたとされる魔除けの矛を指すとされます。
出雲大社(島根県出雲市)は、国譲りの際に大国主大神のために建立されたとされ、大神を祀る神社の総本宮として知られています。出雲大社の立派な社殿と、独特の参拝作法は、大国主大神の特別な神格と、日本の精神文化におけるその重要性を示しています。
福岡県の芦屋町内、および、近隣には、大国主大神、あるいはその別名で知られる神格を祀る神社が複数確認できます。これは、この地域において大国主信仰が根付いていることを示しています。
芦屋町は古くから港として栄え、「岡湊(おかみなと)」という古称で『日本書紀』や『古事記』にもその名が見えます 。岡湊神社はこの古い呼称と関連があり、1800年もの歴史を持つとされます 。このような古い港町としての歴史は、大国主大神の御利益の一つである「交通・航海の守護」 と深く結びつきます。海上交通の安全は、港町にとって死活問題であり、そのような守護神への信仰は自然な形で育まれたと考えられます。
芦屋には、神功皇后が西征の途上に立ち寄ったという伝承が残されています 。例えば、皇后が戦勝を祈願して矢を射たところ、それが島を貫通して洞穴になったという堂山・洞山の伝説があります 。また、皇后の軍勢がこの地に滞在した際、奈良から神様を迎えたという話もあります 。これらの伝承は、芦屋が古代において重要な地点であったことを物語っています。
芦屋が古代からの港町であったという事実は、大国主大神の「交通・航海の守護」という神徳が、この地域で特に重視された理由の一つと考えられます。海の安全と繁栄は、芦屋のアイデンティティと不可分であり、その守護を大国主大神に願うことは、地域住民にとって切実なことであったと考えられます。公園の石碑も、子供たちの安全だけでなく、より広い意味で、海と共に生きる芦屋のコミュニティ全体の安寧を祈願する意味合いを帯びている可能性があります。