場所:福岡県北九州市八幡東区勝山 勝山勝田神社
座標値:33.857575,130.820543
神功皇后(じんぐうこうごう)の伝承がのこる神社として紹介されている勝山勝田神社(かつやまかつたじんじゃ)へ行ってみました。大倉彦(おおくらひこ)神、タケミカヅチ、フツヌシの神、大山津見神の4神で、このなかで勝田神社の名前とふかく関係がある神様が、大倉彦神です。
神社名の由来
神功皇后が三韓出兵のとき、洞海湾(どうかいわん)でたくさんの船がつくられました。その船につける旗の材料である竹が、大倉彦神がおさめる地から伐りだされました。大倉彦神がおさめている地というのが、後の「大蔵」という場所です。勝山勝田神社が祀られているのも大蔵という場所ですが、「大蔵」という地名は大倉彦神の「大倉」からとられたとされています(参照:案内板)
神功皇后が三韓出兵で勝利し日本へもどられて、その勝利の縁から、大蔵の一部…竹を伐りだした山…を「勝山」と名付けました。さらに神功皇后はみずから社を、「勝山」に建てたとされています。しかし勝田という名前がどこからきたのかは案内板でも、類書でも説明されているものがみあたりませんでした。
御利益
この「勝山」の名前の由来によって勝運、武勇、開運にご利益があると伝えられ、代々の殿さまの信仰を集めてきたそうです。
勝山勝田神社の庚申塔
勝山勝田神社にも猿田彦大神を主尊とした庚申塔が祀られていました。拝殿に向って左側へと歩を進めると、本殿のすぐとなりに石塔が2基、祠が1基祀られています。
そのなかで、いちばん背の高い石塔が庚申塔です。表面の文字はほとんど判読はできませんが、かろうじて猿田彦大神の「彦大神」とおぼしき文字が確認できました。しかし、建立年月などの他の銘は(刻まれているようではありますが)判読できません。
庚申塔に向かって左奥には「龍王」と刻まれた小さな石塔があり、その右となりに空の祠がありました。
境内には立派な古木と、「后の清水(きさいのきよみず)」といわれる小さな池がありました。神社の背後に立つ勝山から湧き出てくる清水が、竹でできたトイをつたい流れてきていました。もしかしたら、庚申塔のとなりにあった龍王さまは、水の神様として祀られていたものなのかもしれません。
↓大きくかたむき、苔むした古木
↓神社の裏はうっそうとした杜となっていました。山の上へと続く”けもの道”がみられました