今回の記事では、大分県の国東(くにさき)半島へ庚申塔をさがしにいった際、古い時代のお墓があったので、記録しておきたいと思います。場所は、国東(くにさき)町横手という地区の山中です。
場所:大分県国東市国東町横手
座標値:33.569198,131.676714
この場所へは、庚申塔をさがしにいきましたが、見つけることはできませんでした。しかし「あっ、あれは庚申塔か」と、かん違いした石塔を山中にみつけました。国土地理院地図上に、古墓群の場所を示すと以下のようになります。
「横手川」と書かれた川のすぐちかくにある山、というか丘の中腹あたりに古墓群があることがわかります。横手川に架かる橋の南側に道の広い場所があったので、ここに駐車させていただき、徒歩で古墓群のある辺りまで庚申塔を探しに行きました。
地図のなかで「山道入口」と示した場所からは、農道が西側にむかってのびてゆきます。下の写真が山道の実際の写真です。
地点(33.569198,131.676714)あたりで、左手の山のなかをみると、雑木のなかに石塔がみえました。こちらの石塔をみて「庚申塔か」と思ったのですが…
よくよく近づいてみてみると、墓石であることがわかりました。
草木と苔におおわれている墓石群。
はじめに見つけた墓石↓
もう墓石のほとんどが、森のなかへ溶け込んでいっているようです。
墓石のひとつに、「元禄十三庚辰歳」と刻まれています。西暦1700年の建立ということがわかります。320年ほど前のお墓です。
周囲の雑木林をながめてみると、石垣がいろんなところに残っていることがわかります。そのほとんどが草木に覆われてしまっています。昔、ここに集落があったのかもしれません。
遠くから古墓群のある山をながめてみると下の写真のようになっています。江戸時代、田畑を見下ろす形で丘陵地に家が建てられていたと想像されます。