石炭輸送のをする専用の鉄道として、筑豊興業鉄道が、福岡県で1891年に営業をはじめました。2019年時点からさかのぼると、いまから128年も前のことです。この鉄道が開通した区間は、北九州市の若松と直方市(のおがたし)とを結ぶ、わずか25㎞でした。
しかし、その後も鉄道の区間は広がり、現在もJR九州の筑豊本線として頻繁に使用されています。その筑豊本線の一部に↓このような橋脚が残されています。中間市歴史民俗資料館が発行した『なかま』という資料P26-27に、この橋脚について情報が掲載されていました。
場所:福岡県中間市中間
座標値:33.821166,130.707674
明治24年に開業した筑豊興業鉄道オリジナルの施設は、現在使われていませんが、半分壊されたレンガの橋脚が残っています。筑豊興業鉄道が造った非常に珍しい、貴重な存在の遺構として現在残っています
↑ご覧のように、レンガの橋脚の上には線路は走っておらず、その右隣にコンクリート製の橋脚が増築されています。上の写真には写っていませんが、レンガの橋脚の左側には鉄橋が、さらに造られています。
↓このような感じです。
この鉄道が開通する前は、筑豊地方で採れた石炭の主な輸送手段は、川を利用した水上輸送でした。この筑豊興業鉄道が開業して3年後には、筑豊鉄道に改名され、さらに、九州ではじめて複数の線路を並行に敷くという”複線化”が行なわれました。
この時期から、若松-直方間の線路は、直方の先の金田へと伸び、さらに飯塚・碓井・幸袋へと枝分れてしていきました。こうやって、いまの「JR筑豊本線」や「平成筑豊鉄道」の基盤ができあがっていったのですね。
明治時代に造られた橋脚は、やはりその当時、建造物で主に使用されていた赤レンガでつくられています。もう120年以上も経っているのに、しっかりと建っています。赤レンガの強靭さが感じられます。