平成筑豊鉄道に関する史跡をたびたび巡ってきています。今回の記事でも、明治時代につくられたレンガ製の「ガード」をご紹介します。「ガード」というのは高架橋のことです。
明治時代につくられたアーチ型のガードは筑豊地域ではよくみることができます。今回のものも、やはり美しいアーチ型のガードです。
平成筑豊鉄道は田川線、伊田線、糸田線があります参照。そのうち田川線に、今回ご紹介するガードがあります。
場所:福岡県京都郡みやこ町犀川崎山
座標値:33.620096,130.908800
平成筑豊鉄道田川線は、筑豊でとれた石炭を行橋(ゆくはし)の苅田港(かんだこう)などへ列車ではこぶためにつくられた線路です参照。歴史のある路線なので、線路沿いには多くの歴史的構造物がのこされています。第二石坂トンネル、内田三連橋梁がその代表です。
今回ご紹介する「崎山のガード」は「源じいの森駅」から東北東へ約1.3㎞地点…今川がつくりだした深い谷をこえ田園の広がる平地にでた場所…にあります。
田川線がつくられた経緯を以下の簡略化してご紹介します。
1893年(明治26年)10月1日
豊州鉄道技師-野辺地久記(のべじひさき)氏-が線路建造のために着任
1894年(明治27年)4月
野辺地氏は田川線のもととなる測量・設計を終了
1894年(明治27年)6月1日
田川線の起工式がおこなわれた
1895年(明治28年)8月15日
田川線が開業
参照:『新京築風土記(山内公二著)』P.93
田川線は行橋駅から田川伊田駅まで26.3㎞。この長さの線路が、着工されてからわずか1年ちょっとの期間で開業にまでいたったのですね参照。それも、もともとは7カ月で測量・設計を完成させるという、野辺地氏の速い仕事がベースとなりました。
↓こちらの写真は「崎山のガード」の足部分南側を撮ったものです。鉄道がさらに複線化されることを想定して、レンガがさらにつぎたしやすいよう凸凹(でこぼこ)しています。
ガード下をくぐってみると、レンガひとつひとつが整然とならべられているのがよくわかります。このガードが完成されてから2020年時点で125年もたっています。これだけ長い年月たっても、レンガはひとつも崩れおちていません。レンガ建造物の頑強さが感じられます。
日本でレンガがつくられはじめたのが江戸時代で、明治時代中期にはレンガ職人がふえたこともあり、建材の主流となりました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災以降、地震によわいということがわかってからは建材はしだいに鉄筋コンクリートに移行していきました参照。
平成筑豊鉄道沿いを車ではしっていると、レンガ造りのガードや橋梁をよく目にすることができます。九州北部では、レンガ建造物が崩れるほどのおおきな地震がおきなかったというのも、幸いしているのでしょうね。