日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

明治時代につくられた嘉麻川橋梁(かまがわきょうりょう) 福岡県鞍手郡小竹町大字赤地

福岡県鞍手郡小竹町と、直方市丸山町との境を流れる遠賀川に架かる『嘉麻川橋梁(かまがわきょうりょう)』を訪ねました。筑豊の近代遺産をネット上で調べていると、この橋を見つけることができました参照。書籍だけでなく、ネットでも工夫をして検索してみると、まだまだ知らない史跡がみつかります。

場所:福岡県鞍手郡小竹町大字赤地

座標値:33.731323,130.723658

 

嘉麻川橋梁は、平成筑豊鉄道伊田線の直方駅と赤池(あかぢ)駅との間にある、全長約221.2mの橋です参照。。

嘉麻川橋梁がつくられたのはいつ?

田川方面から北九州方面への石炭を搬出する目的で、1893年(明治26年)に下り線が敷設されました。その16年後の1909年(明治42年)に上り線が敷設されました参照。建設当時、伝染病の流行、水害の発生、資金難などがかさなり、難工事でした参照

 

こちらの記事に1919年頃の嘉麻川橋梁の写真が掲載されています↓

西日本新聞 me「2021/5/5 遠賀川の嘉麻川橋梁を渡る石炭列車(1919年ごろ、直方市石炭記念館提供)」

 

遠賀川に架かる橋なのに どうして「嘉麻川橋梁」?

この川が遠賀川と呼ばれるようになったのは、1890年代(明治20年代後半)だと考えられています参照。嘉麻川橋梁が、はじめて作られたのが1893年です。この年は、まだ遠賀川が遠賀川と呼ばれていなかったのだと考えられます。

 

橋の構造

橋脚はレンガ造りで重厚感があります。河川敷に立つ橋脚と、川のなかに立つ橋脚とでは形が違います。

 

河川敷に立つ橋脚は左右対称の六角形をしているようです。橋脚は長い面を、電車が走る”桁”と直角に交わるように設置させ、重い鉄製の”桁”を支えています。

一方、川のなかに立つ橋脚は、河川敷のそれとは異なり鋭角な部分はありません。角は丸く、土台部分は二つに分かれています。”桁”部分の重さと”トラス”部分の重さを、この橋脚は支えていることになります。

角にあたる部分はレンガではなく、石製のブロックが積まれています。石ブロックを積むことで強度をあげているのでしょうか。

 

竹の骨組みでつくられている

どうもこれらの橋脚は骨組みが竹のようです。Twitterで「嘉麻川橋梁」というキーワードで検索してみると、竹筋使用の工事写真が紹介されていました。

竹で骨組みをつくり、その周りにレンガを積み上げていったと想像します。

 

トラス橋は上りと下りとで作った「年」、「国」が異なる

下の写真、奥に架かっているトラス橋はイギリス製のものです。手前の、やや色あせているトラス*1橋は、日本製のものです。日本製のトラス橋は、1909年(明治42年)、複線化された際に造られました参照

 

◆◆◆◆◆

今回、嘉麻川橋梁を写真に撮ったのが、下の航空写真の場所です。遠賀川の北側岸です。河川敷に車を停められます。

場所:福岡県直方市大字山部

座標値:33.731641,130.722944

*1:トラスは、三角形を基本単位としてその集合体で構成する構造形式参照