福岡県の北部…筑豊地方から北九州市・中間市・遠賀郡…を流れている遠賀川という大きな川があります。この遠賀川にJR筑豊本線の鉄橋が、中間市で架かっています。
2019年時点ではJR筑豊本線が遠賀川を渡る場所では、下の写真のような不思議な光景をみることができます。左に鉄橋、右にコンクリート製の橋、そして真ん中にはレンガ積みの橋脚があります。このレンガ積みの橋脚はなんなのでしょう?
場所:福岡県中間市
座標値:33.8208966,130.7069488
この橋脚は、鉄道が3線だった頃(今は2線が現役)の名残です。3線であった理由は、石炭を多量に運ぶためです。レンガ造りの橋脚上には、昔は線路が走っていました。
JR筑豊本線は、もともと単線からスタートしました。開業からわずか2年後には、この中間市周辺の路線が2線となり、さらに30年後には2線から3線となりました。その歴史を下に、表にしてまとめてみました(参照:Wikipedia-筑豊鉄道)。
筑豊興業鉄道は、もともと筑豊炭田から産出される石炭を、北九州市の若松という港まで運ぶ目的で造られた鉄道です。そのため、筑豊興業鉄道のはじめの区間は「直方(のおがた)」-「若松」間で、単線でした。単線だったものが、石炭の鉄道での輸送量がふえるにつれて複線化してゆきました。
ちなみに九州で一番はじめに複線となった区間が、底井野信号場-植木駅間です。↓下の図では遠賀川の西側にあたる箇所です。現在は筑前垣生(はぶ)駅となっている場所が、以前は底井野信号場でした。現在の路線でいうと、筑前垣生駅から鞍手駅を経て、筑前植木駅までの区間が、九州ではじめて複線化された区間ということになります。
2線となった底井野信号場-植木駅間でしたが、輸送される石炭の量はどんどんと増える一方でした。そして、さらに1923年(大正12年)には、現在の路線でいうと中間駅から筑前植木駅までの区間が3線となりました(参照:『九州の鉄道おもしろ史』P376)。こうして石炭輸送の容量をカバーしたのです。
ではどうして現在(2019年)は、鉄道が2線となっているのでしょう?石炭燃料の時代が終わり、大量の石炭を運ぶ必要がなくなったため、3線である意味がなくなってしまったからです。
そのため、レンガ造りの橋脚部分に架けられたレールは、取り外されています。
現在は、鉄橋側は下り(直方方面)列車が走り、コンクリート製の橋は上り(折尾方面)列車が走っているようです。
どうしてこのような場所にレンガ造りの橋脚があるのか?不思議におもっていましたが、事情を知るとなるほどな~と納得してしまいました。