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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

沖縄の石敢當(いしがんどう)

沖縄を旅行していたときに、石敢當(いしがんどう、いしがんとう)と呼ばれる石碑が、町のなかのいたるところに立てられていることに気づきます。

石敢當(いしがんどう)は、人々に災難をもたらす悪霊・悪鬼・厄神などを総称する「ヤナムン」を退けるための魔除けで、目に見えない超自然的な存在である「物(ムン)」を取り除く「ムンヌキスムン」と呼ばれる呪物の一種です。


石敢當の起源は中国にあり、記録上最も古いものは唐代(770年頃)に福建省莆田県の県令が、除災招福などを目的に立てたものとされています*1。はじめは、魔除けの意味はありませんでしたが、悪鬼・悪霊がまっすぐしか進めないという中国の信仰と風水思想の影響により、T字路やY字路の突き当たりに立てられるようになりました*2。 中国発祥の石敢當は、中国人の海外移住や人的交流に伴い、東南アジア各地へ伝わって、琉球(沖縄)へも伝わりました。琉球への伝来ははっきりとはわかりませんが、15世紀半ば頃と考えられ、16世紀末には日本本土(北は秋田、青森、函館まで)に広がったとされています*3。沖縄では18世紀半ばには、かなり浸透して、『琉球国志略』(1756年)にも、石敢當の存在が記されています*4。現存する最古のものは久米島にある「泰山石敢當」で、「雍正十年」(1732年)の年紀が刻まれています*5

日本では江戸時代以来、石敢當を中国の勇士や力士に由来するという考えが広く流布しており、沖縄の民話にも同様の豪傑説が見られます。これは「石敢當」が前漢の『急就篇』に漢字学習のための人名例として挙げられていたことや、明代の書物が力士「石敢」を「石敢當」と誤読したことによる俗説である可能性が高いとされています*6。 本来の石敢當の意味は、「石が悪鬼や悪霊に敢えて当たる」という、中国の石に対する信仰に由来するものと考えられています。沖縄ではもともと自然の石を魔除けとする習俗(例:ムヌヌギ、ビッチュルなど)があり、中国伝来の石敢當がこの固有の習俗と融合する形で浸透したと考えられています。石敢當の文字そのものの意味よりも、石に込められた霊力に重きを置くべきという見方もあります*7

 


沖縄は、世界中で最も石敢當の多い地域と考えられており*8、道路の突き当たりなど至るところに設置されています。沖縄県全体で「推定1万基以上」が存在するとも言われています*9。 石敢當の設置箇所はいろいろな場所にありますが、大半はT字路やL字路、あるいは四差路の突き当たりに設置されています。悪気(悪霊)が地表を這うように進んでくると考えられているため、多くは地表から数センチの位置に設置されています。 石敢當の大きさや形状は多様で、古いものは自然石に文字を刻んだものが多く、なかには、2m以上の大きなものや、表札程度の小さなものもあります。

最近では、加工石材やコンクリート、プラスチック製のもの、あるいは単なる木札に字を書いたものもあります。これは「石敢當」と書いてあれば魔除けになると考えられ、石にこだわらず様々な素材が用いられるようになったたためと考えられます*10。 沖縄での読み方は「イシガンドウ」と湯桶読みすることが多く、「石敢當」以外の表記(例:石巌當、石将軍、石散當など約40種)や、文字の書体もさまざまです。

中国や台湾などでは石敢當が信仰の対象とされ、廟内に神像が祀られたり、線香が焚かれたりしますが、沖縄(および鹿児島県奄美地方)ではほとんど直接的な信仰の対象とはなっていません。 沖縄では石敢當はごく身近なものとして認識されています*11。しかし、最近ではその本来の意味が忘れられたり、曲解されたりしつつも、伝統的な地理思考が大きく拡大・変容がおきています。新興住宅地やマンションにも「ファッションとしての石敢當」が設置され続けており、石材店や表札店で購入して自宅に設置する人も増えています*12。沖縄観光の土産物としても、小型の置物、シール、携帯電話のストラップなど多様な商品が流通しています。 ブラジルのサンパウロ市、サントアンドレ市、カンポグランデ市などには、沖縄からの移民によって設置された石敢當もあり、これも道の突き当たりに位置する住宅で、強盗被害や交通事故、家族の病気などの災難をきっかけに設置された事例が見られます*13。これらの多くは現地で製作されています。

日本の石敢當研究においては、小玉正任氏と久永元利氏が、有名な研究者です。小玉氏の調査により、石敢當が沖縄地域だけでなく、北海道を含む日本全国に広く分布していることが明らかになりました。 那覇市首里地区における調査では、2004年10月の時点で約800基の石敢當が確認されています*14。そのうち90%以上が比較的新しいものでした*15。首里地区の石敢當の約81.4%がT字路やL字路、四差路といった本来の設置場所にあります。T字路の突き当たりに設置されているものが最も多く、全交差点の約63%を占めています。

 

新しい石敢當では、T字路の突き当たりだけでなく、その手前角に補助的なものとして設置される例も増えています。 また、行き止まりやL字路に設置される石敢當は新しい道路沿いに多く見られ、比較的新しい風習と推定されています*16。一方で、四差路に設置される石敢當は旧街道沿いに多く、琉球時代から存在する概念である可能性が示されています。首里城下町地区では、中心部よりも周縁部や出入り口に石敢當が密集している傾向が見られます*17

 

*1:石敢當の起源は中国にある。記録の上では、唐代の七〇年に福建省莆田県の県令(県知事)が、除災招福・役人や人々の幸福、地域の文化の興隆を目的に立てたとあるのが最も古い。現物の最古は、福州市立博物館にある紹興年間(一二三一〜一二四一)の石敢當であるという。沖縄のまじない.山里純一著

*2:中国では古くから、T字路や四差路は百鬼の横行する場所と考えられていた。 したがって、T字路の突当たりや道の交わる場所をはじめとして、集落の出入口や池や川の岸、さらに橋のたもとや家屋の門や塀の一部などに、魔除け、厄がえし、病気よけとして、石敢當が設置されることが多く、時としてはそれ自体が祈願の対象とされる場合もあった。アジアの時代の 地理学■伝統と変革 千田稔編

*3:琉球に伝わったのは定かではないが、15世紀の半ば頃に伝来したと考えられ、さらに16世紀末には日本に至り、北は秋田、青森、さらには函館にまで広がっていった。石敢當の表記名は、その多くが「石敢當」であるが「泰山石敢當」というものや「石巌當」、「石將軍」、あるいは「石散當」、「散當石」など約40種ある。また文字の書体は楷書、行書、隷書、そして稀ではあるが篆書、草書があるとされる。アジアの時代の 地理学■伝統と変革 千田稔編

*4:一七五六年に来島した冊封副使の周煌が著した『琉球国志略』に、「門前ニ「片石ヲ立テ、石敢當ト刻ムモノ多シ」と見えるので、一八世紀半ばにはかなり浸透していたようである。沖縄のまじない.山里純一著

*5:久米島にある「泰山石敢當」には「雍正十年」(一七三二)の年紀が刻まれており、『琉球国志略』の記録よりも古く、現存するものでは最古の石敢當である。沖縄のまじない.山里純一著

*6:日本のいくつかの辞典等が「石敢當は五代晋の力士の名に由来する(あるいは由来するとの説がある)」と記述しているが、この説は明確な歴史的根拠のないことであると考えられている。沖縄のまじない.山里純一著

*7:ただし、「石敢當」という文字に意味があるのかといえば、慎重に検討する必要がある。例えば本稿で対象とした那覇市首里地区においても、字を刻印していない自然石が、明らかに石敢當を設置するのにふさわしいところに埋め込まれている例が認められる。また、文字か記号か判別しがたい事例もみられる。これらは首里地区に限ったわけではなく、沖縄の各地や奄美諸島においても見受けられる。それゆえ、石敢當という漢字そのものの意味よりは、石に籠められた霊力に比重をおくべきかもしれない。このことを敷衍すれば、いわゆる巨石信仰や磐座, さらには古代の西日本において築造された本来は軍事施設ではあるが、同時に神性も意識されるにいたった神籠石遺跡などをも含めて考察するべきであるかもしれない。アジアの時代の 地理学■伝統と変革 千田稔編

*8:一般的な石敢當と比べると少ないが、県内各地に見られる。沖縄の道路の突き当たりには、至るところに石敢當が設置されている。現在は市販されているものが多く見られるが、石に文字を彫った自製の石敢當も各地にあり、沖縄は、恐らく世界中で一番、石敢當の多い地域であろう。沖縄のまじない.山里純一著

*9:沖縄県の場合は1999年の図では「極めて多数」とあるのに対して、2004年の図では「推定1万基以上」というふうに表現されている。この推定 1万基以上という数値については、具体的な根拠があるわけではないが、後述の首里地区における数からしても、それほど極端な数値ではないように思われる。アジアの時代の 地理学■伝統と変革 千田稔編

*10:石の呪力によってヤナムン(邪悪な物)を退ける固有の習俗に、中国伝来の石敢當が習合する形で琉球社会に浸透していったと考えられる。
しかしその由来については、石の呪力に基づくする説よりも力の強い人名説の方が一般の人々には受け入れられやすかったのだろう。そのためか、沖縄では、石敢當とさえ書いてあれば魔除けになると考え、石にこだわらず、さまざまな素材の石敢當が作られている。沖縄のまじない.山里純一著

*11:沖縄では、石敢當はごくありふれた身近なものとして認識されていることは確かであって、例えば仲宗根みいこ氏の作品中にも、 「石敢當の話」として収録されている。この話は、主人公の少女の友人が石敢當にいたずらをしたのを見たオバアが、石敢當は大切なものであると諭す話である。沖縄のまじない.山里純一著

*12:首里地区の石敢當の分布の実態を記したが、石敢當という伝統的地理思想は、現代もなお大きく拡大と変容を遂げつつあることを強調しておきたい。前記したように、本来は設置する必要のない場所に新しく設置されている石敢當が多くみられる事実があるからである。すなわち、いわばファッションとしての石敢當が新興住宅地や新設マンションにもつくられ続けている。このことは首里地区に限ったことではなく、沖縄県や鹿児島県のかつての琉球地域にも、さらには日本全域にも共通する現象である。石材店や表札店で石敢當を購入して自宅に設置したりする人も増え続けている。沖縄観光の土産物としての小型の石敢當の置物、シール、携帯電話のストラップなども沖縄の商店街には氾濫している。本来の意味が、ある点では見失われ、あるいは曲解されつつも、今もなお生き続けています。沖縄のまじない.山里純一著

*13:沖縄県は日本有数の移民県で、多くの人々が海外へ移住しているが、南米ブラジルへ渡った移民は沖縄の石敢當の習俗も持ち込んでいた。ブラジルではサンパウロ市、サントアンドレ市、カンポグランデ市に沖縄出身者が設置した石敢當が存在する。沖縄のまじない.山里純一著

*14:確認することのできた石敢當は、全体で790基である。ただし、可能な限り悉皆的な調査をめざしたとはいうものの、あるいは調査漏れがあるかもしれない。したがって、首里城下町地区には2004年10月の時点で約800基の石敢當が存在していると理解しておくのが最も妥当であろう。あえていえば、正確な数値にこだわる必要はあまりないともいえる。すなわち他の地域の例をみても、今後はもっと増加していく可能性が高いからである。沖縄のまじない.山里純一著

*15:調査した790基のうちで90%以上にあたる714基は明らかに新しいものであった。 したがって、やや古びた石敢當はわずか76基ということになる。また、一見して古びて見えるとはいっても、新しいものと比較しての基準であって、古い年号を刻印した厳密な意味での文化財的なものは認められなかった。アジアの時代の 地理学■伝統と変革 千田稔編

*16:新しい道路沿いの行き止まりには石敢當が多く存在するのに対し、旧街道沿いにはほぼ皆無といっていいほどの数しか石敢當が存在しない。それゆえ、行き止まりに石敢當を設置するという風習は本来のものではなく、新しい風習であると推定できる。沖縄のまじない.山里純一著

*17:那覇の市街地に下っていく西側の地区、すなわち那覇への出入り口にもかなり稠密に分布している。さらに北側の首里儀保町とか首里久場川町のあたりにもかなりたくさんある。同様にいわゆる真珠道が通る首里金城町にも古い石敢當が集中している。このようにみると、首里城下町の中心部よりはむしろ周縁部もしくは出入り口のところに多いのではないかという感じがする。ただしこの想定は、首里城下町時代には市街地化していなかった首里金城町と首里崎山町の間に、比較的古いと思われる石敢當が多く分布していることなどを考えると、さほどの意味をもたないのかもしれない。要するに傾向としては首里城下町の中心部よりは周縁地区に多く存在するということはいえるが、そのことに関する明確な意義づけはできない。沖縄のまじない.山里純一著