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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

石敢當(いしがんとう)

沖縄の路地を歩いていると、T字路やY字路の突き当たりに、しばしば「石敢當(いしがんとう)」と刻まれた石碑を目にすることがあります。これは、中国から伝わった魔除けであり、沖縄の人々の生活に深く根付いた存在です。

石敢當とは何か?

沖縄では、災いをもたらす存在全般を「ヤナムン」と呼び、それを退ける魔除けを「ムンヌキムン」と呼びます。「石敢當」は、このムンヌキムンの中でも代表的なもので、家や集落を悪霊や魔物から守ると信じられています。

 

石敢當は、単なる石碑ではなく、そこに込められた人々の願いや歴史、そして文化を反映した存在です。その起源、伝播、そして地域特有の変容を辿ることで、石敢當の持つ多様な側面が見えてきます。

 

石敢當の起源

石敢當の起源は、唐代の中国に遡ります。福建省の県令が、地域の人々の幸福を願い、道路の突き当たりに石碑を設置したのが始まりとされています。当初は、必ずしも魔除けの意味合いはなかったようですが、風水思想の影響を受け、T字路やY字路に設置されるようになりました。

 

中国では、悪鬼や悪霊はまっすぐにしか進めないと信じられており、道路の突き当たりは、それらが溜まりやすい場所と考えられていました。そのため、石敢當を設置することで、悪鬼や悪霊が家や集落に侵入するのを防ぐ目的があったのです。

 

興味深いことに、中国では古くから漢字を学習するためのテキスト「急就篇」に「石敢當」という記述があり、力強い人物として認識されていました。江戸時代の日本では、この記述が中国の勇士や力士の逸話と結びつけられ、石敢當は魔物を退ける力を持つと信じられるようになりました。沖縄においても、道の突き当たりや風水的に良くない場所に「石敢當」と書いた石を立てて魔除けをするようになったのは、こうした逸話の影響を受けていると考えられます。

 

石敢當の伝播

石敢當は、中国人の海外移住や人的交流に伴い、東南アジアを経て沖縄に伝わりました。沖縄への伝来時期は明らかではありませんが、18世紀半ばには広く浸透していたと考えられます。久米島にある「泰山石敢當」は1733年の年紀が刻まれており、現存するものでは最古のものです。「泰山石敢當」の「泰山」は、中国の代表的な霊山である泰山の霊力にあやかったものです。

 

琉球王府は、道路の拡張や新設に伴い、新しい道の突き当たりに石敢當を立てることを奨励しました。1740年代の記録によると、王府は首里城下や那覇、久米村などに多くの石敢當を建立したことが分かっています。

 

石敢當の形態

石敢當の形態は、煉瓦造りや自然石など地域差が見られますが、「石敢當」の三文字を陰刻し、額縁のように囲まれた扁額状であるという共通点があります。多くの石敢當は道路に面して設置されていますが、屋敷の壁や家の近くに設置されているものもあります。

 

沖縄の道路の突き当たりには、至るところに石敢當が設置されています。現在ではコンクリート製のものが多く見られますが、石に文字を彫った自製の石敢當も各地にあり、世界中で最も石敢當の多い地域と言えるでしょう。

 

石敢當の力

石敢當は、単なる石碑ではなく、魔除けとしての力を持つと信じられています。その力は、中国の史書や日本の文献にも記されています。

 

中国の史書「新五代史」には、力強い海の人として活躍した人物が、中国へ渡る際に石敢當を携えていたという記述があります。また、日本の文献「拾芥抄」には、石敢當は「夜光石」と記され、魔除けに使用されていたとあります。

 

長崎県壱岐の遺跡からは、「夜光石」を使用した石器が出土しており、五千年の歴史が確認されています。宮城県塩竈市には「夜光石」の石碑が建立されています。これらのことから、「力士」=「石敢當」=「夜光石」という説が生まれた可能性があります。

 

石敢當に込められた願い

石敢當は、魔除けとしてだけでなく、人々の様々な願いが込められた存在でもあります。家を守る、災いを防ぐ、幸福をもたらすなど、地域や時代によって込められる願いは様々です。

 

石敢當は、沖縄の人々の暮らしに深く根付いた存在であり、今もなお、地域の人々によって大切に守られています。

石敢當の多様性

石敢當は、中国から沖縄、そして奄美へと伝播する過程で、様々な変容を遂げてきました。その背景には、各地域の文化や信仰、そして人々の願いが反映されています。

 

沖縄では、中国の石敢當の魔除けとしての側面が主に受容されました。一方で、獅頭や八卦などの図形、あるいは信仰対象としての側面はあまり受け入れられませんでした。これは、沖縄の人々が中国文化を主体的に選択し、独自の文化へと昇華させていったことを示しています。

 

奄美・沖縄には、中国の石敢當には見られない独自の形態のものが存在します。例えば、「北斗七星」や「九字」を刻んだ石敢當、あるいは梵字や不動明王の真言を記した石敢當などがあります。これらの石敢當は、地域特有の信仰や文化と結びつき、独自の進化を遂げたものと考えられます。

 

石敢當は、単なる魔除けの石碑ではなく、人々の生活や文化と深く結びついた存在と言えるでしょう。その多様な姿は、私たちに文化的交流の歴史と、地域独自の文化形成の過程を垣間見せてくれます。

 

参照:『沖縄のまじない』山里純一著.P23‐39

参照:琉球大学学術リポジトリ.石敢當覚書

 

以上の文章は、上記の書籍・記事を元に、Gemini Advancedを使用してまとめたものです。