沖縄本島中部に位置するうるま市に属する浜比嘉島(はまひがじま)は、琉球開闢(りゅうきゅうかいびゃく)の祖神アマミキヨとシネリキヨが住まう島として知られています。琉球開闢とは、琉球列島がどのようにしてできたのか、そこに人がどのように住み始めたのかを説明する神話のことです。
島ではこの二柱の神をアマミチュー・シルミチューと呼び、世の始まりの夫婦神として崇敬を集めています。
浜比嘉島にはアマミチュー・シルミチューにまつわる神話が数多く伝わっていますが、その中でも特に重要なのが、彼らの墓に関する伝承です。島にはアマミチュー墓とシルミチュー霊場と呼ばれる二つの聖地があり、それぞれアマミチューとシルミチューが葬られていると伝えられています。
アマミチューの墓
場所:沖縄県うるま市勝連比嘉
座標値:26.324308,127.966412
アマミチュー墓は、比嘉集落の北東に位置する岩山だけの小さな島、アマンジーにあります。むかしは干潮時でないと近づけませんでしたが、現在では道が整備され、いつでも参拝できるようになっています。この墓は、アマミチューとシルミチューだけでなく、様々な神々が葬られているとされ、島の人々にとって重要な信仰の対象となっています。
アマミチューの墓は、もともと入り口を石で積み廻しただけの簡素なものでしたが、明治20年(1887年)頃に切石で形が整えられ、大正初期(1910年代)にはセメント塗りに改修されました。島の人々の信仰心によって大切に守られてきたことが感じられます。
▼案内板
アマミチューの墓
宇比嘉の東方海岸にアマンジと呼ばれる岩屋の小島があり、そこに洞穴を囲い込んだ墓がある。地元では琉球開びゃく伝説で有名なアマミチュー、 シルミチューの男女二神及び他の神が詞られてい ると伝えられている。毎年、年頭拝み(ニントゥウグワン)には宇比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の人々多数が参加して、豊穣・無病息災・子孫繁昌を祈願している。また、古くから各地からの参拝者が絶えない、信仰圏の広い貴重な霊場である。
文化財保護条例により、勝連町文化財に指定します。
平成7年2月20日
勝連町教育委員会
アマミチューの墓周辺には、奇怪なかたちをした岩や、岩のくぼみがあります。これは波食窪(はしょくくぼ、はしょくおう)とかノッチと呼ばれる地形です。波の侵食作用によって海食崖の下側の海面付近につくられます。
参照:波食窪Wikipedia
シルミチュー霊場
場所:沖縄県うるま市勝連比嘉
座標値:26.311886,127.959142
シルミチュー霊場は、島の南々東端に位置する洞窟です。アマミチューとシルミチューが初めて住んだ場所とされ、洞窟内には大正初期に建てられた瓦葺きの小祠があります。祠の中には、天帝子、天太子、天孫子と刻まれた三つの石と多数の小石が納められた壺、そして二つの鏡が安置されています。
この洞窟には、表面に水田のような区画がある平たい岩があり、常に水滴が垂れて水が溜まっています。この水の溜まり具合で、その年の作物の豊凶を占うことができると伝えられています。また、女陰の形をした鍾乳石もあり、子宝に恵まれない女性が祈願すると、子どもを授かることができると言われています。そのため、多くの参拝者がこの霊場を訪れます。
▼案内板
シルミチュー
うるま市指定文化財第13号
有形民俗文化財
字比嘉の南々東端の森の中に大きな洞穴がある。 地元では琉球開びゃく祖神(りゅうきゅうかいびゃくそしん)、アマミチュー、シルミ チューの居住したところと伝えられている。毎年、年頭拝みには比嘉のノロ(祝女)が中心となって、海浜から小石一個を拾って来て、洞穴内に安置された壺に入れて拝んでいる。また洞穴内には鍾乳石の陰石があり、子宝の授かる霊石として崇拝され、信仰圏の広い貴重な霊場である。
平成17年4月1日、合併により旧勝連町指定文化財第6号は、うるま市指定文化財第13号として再指定されました。
うるま市教育委員会
シルミチューの墓へは、近くの広々とした未舗装の駐車場に車を停めて、徒歩10分ほどでいくことができます。参道には長い階段があり、途中には鳥居も構えています。静寂な自然に囲まれた道のりを進むと、神秘的な雰囲気に包まれたシルミチューの墓が見えてきます。
▼広い駐車場
ウミチルー墓
シルミチュー霊場と並んで重要なのが、兼久の沖にあるクバ島と呼ばれる大岩の中腹にあるウミチルー墓です。ウミチルーは、シルミチューがクバ島で生んだ娘で、10歳の頃に海に投げ捨てられたと伝えられています。
かつては海岸からクバ島に登ることができましたが、現在は崩落のため登ることができません。そのため、海岸にコンクリート製の拝所が建てられ、そこからウミチルー墓を参拝するようになっています。
ウミチルーの遺骨は、明治初期に当時のノロが神の霊示を受けてクバ島から持ち帰ったものとされています。ノロは険しい岩山を難なく登り、ウミチルーの遺骨を見つけ出して持ち帰ったという伝説が残っています。
参照: PDF.浜比嘉島の文化財
浜比嘉島におけるアマミチュー・シルミチュー信仰
浜比嘉島では、アマミチュー・シルミチューは単なる神話上の人物ではなく、島の人々の生活に深く根ざした存在です。島民はアマミチュー墓やシルミチュー霊場を参拝することで、二柱の神の加護を願い、日々の暮らしの平安を祈ります。
特に、正月の年頭拝みは重要な行事です。島のノロが先導し、島民が12箇所の拝所を巡拝することで、一年の無病息災を祈願します。島を離れて暮らす人々も、正月には帰省して年頭拝みに参加するなど、アマミチュー・シルミチュー信仰は、島の人々にとって大切な文化であり、アイデンティティとなっています。
浜比嘉島におけるアマミチュー・シルミチューの墓は、島の人々の信仰心の拠り所であり、琉球開闢神話を伝える貴重な文化遺産です。これらの聖地は、単なる史跡ではなく、島の人々の生活に深く根ざした存在であり、今も多くの人々に崇敬されています。