場所:福岡県北九州市八幡東区春の町
北九州市八幡東区に鎮座する豊山八幡神社は、約1400年もの歴史を持つ神社です。その起源は古く、約1800年前、第14代神功皇后がこの地を訪れ、天下が豊かになることを願い弓矢を納め、「豊山(ゆたかやま)」と名付けたことに由来すると伝えられています。その後、西暦623年、推古天皇の御代に、神徳により宇佐神宮から八幡神を勧請し、豊山八幡神社が創建されました*1*2。
尾倉村が発展するにつれて、豊山八幡神社は尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥旗、中原の六ヶ村の総鎮守として栄えました。各村に鎮守神社が必要となったとき、豊山八幡神社の分霊がそれぞれの氏神様として遷され、枝光八幡宮や前田の仲宿八幡宮、大蔵の乳山八幡神社など、多くの八幡神社が豊山八幡神社をルーツとして創建されていきました*3。
豊山八幡神社は、「やはた」という地名の発祥の地である点がとくに重要な点であげられます。明治22年(1889年)4月に市町村制が施行され、尾倉村、大蔵村、枝光村の三村が合併する際に、当初「尾大光(びだいこう)」という地名が検討されましたが、しっくりこなかったため再協議となりました*4。その際、三村それぞれの氏神様が豊山八幡神社をルーツとしていたことから、新しい村の名前を「八幡」とすることに決定されました。
明治33年(1900年)には八幡村は八幡町となり、翌明治34年(1901年)の官営八幡製鉄所の創業と共に全国から多くの人々が流入し、八幡は目覚ましい発展を遂げました。製鉄所の労働者の住居である「千人小屋」も豊山八幡神社の近くに作られていたほど*5。大正6年(1917年)には市政施行により八幡市が誕生し、地域の核としてさらに発展しました。
近代に入ってもその重要性は増し、大正12年(1923年)には社格制度において「村社」から「県社」に昇格しました。昭和5年(1930年)には、八幡製鉄所の繁栄と共に、氏子崇敬者の浄財によって総檜造りの現在の社殿が竣工され、現在にいたるまで八幡総鎮守の宮として厚い崇敬を集めています*6。
*1:https://www.ns.yawata-mhp.or.jp/content/items/248
*2:https://www.ykc.co.jp/whats_new/archives/219
*3:https://www.ns.yawata-mhp.or.jp/content/items/248
*4:https://www.city.kitakyushu.lg.jp/yahatahigashi/file_0008.html
*5:戦前日本の非正規労働者― 官営八幡製鐵所における職夫について―(上)立命館学術成果リポジトリ