福岡県北九州市の門司区の東側。岳ノ鼻という岬の南側に、猿喰(さるはみ)という地区があります。この地区は湾になっていて海に面した土地に平らな水田がひろがっています。
地形図をながめてみると猿喰という地区の水田は丘陵地にかこまれている平地につくられているようです。この水田は「猿喰(さるはみ)新田」とよばれています。
猿喰新田は、ひとりの元庄屋が約3年の歳月をかけて、自費で拓いた水田なのだそうです。
場所:福岡県北九州市門司区猿喰
おおよその座標値:33.893404,130.984777
この猿喰新田のことを知ったのは『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.42-P.43を読んでです。猿喰新田がつくられた経緯を知るのに、いちばんわかりやすい史跡が地点(33.893782895176756,130.98720487268287)にある「潮抜き穴跡(しおぬきあなあと)」です。
「潮抜き穴」というのは、どういう機能をもった”穴”なのでしょう。現在、猿喰新田がひろがっている平地は、もともと海水がはいりこむ湾でした。水田をつくるためには、その湾にはいりこんでいた海水をとりのぞく必要がありました。
そのために、湾の入り口に堤防をきずき、その堤防のすきまから湾にたまっている海水をとりのぞきました。”堤防のすきま”というのが”潮抜き穴”です。イメージ図が上の写真のような図となります。これは潮抜き穴跡ふきんにある案内板の図を引用させていただきました。
衛星写真で猿喰新田をみてみます↓ 2枚の衛星写真をのせています。上の写真はそのままの写真、下の写真はもともと湾(猿喰湾)であったとおもわれる箇所を赤破線でかこっています。
湾のくびれた部分に堤防をきずいたのですね。この、湾のくびれた箇所の北側に、現代、学校が建設されています。学校が建設されている場所は、水田がある場所よりも約10m高くなっています。おそらく、学校建設にあたり、すこし土地を高くしたものと思われます。本来は、この学校がある場所も湾のなかにあったのではないかと考えます。
記事がながくなりそうなので、今回の記事はここまでとします。
猿喰新田のことを調べるにあたり、実際に、田んぼの周囲をぐるっと周ってみたので、その様子などを次回の記事からご紹介したいと思います。
猿喰新田のなかから南方をながめた景色↑ 平坦な水田がひろがる。ここが昔は海のなかでした。