日々の”楽しい”をみつけるブログ

福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その② 福岡県北九州市門司区猿喰

前回の記事では、猿喰湾の入り口ふきんに、こんな感じで堤防を築いたのではないか…というところまでご紹介しました。

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この堤防の数か所に、湾内にはいりこんだ海水をとりのぞくための穴をあけました。その穴が、こちら↓の潮抜き穴です。

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堤防の上から、どんな感じで潮抜き穴があるのか…を撮った写真です↓ この写真は、堤防の上から東方向をみたものです。北側である海側に石がつまれた潮抜き穴がつくられています。

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いっぽう、堤防の南側(水田側)は堤防に穴があいているだけです↓

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この潮抜き穴(樋門;ひもん)がどんな構造になっているのか、案内板に詳しい説明がかかれています。

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2つの樋門の構造は細かくみるとすこし異なるようです。一番東側にある樋門(第1樋門)は岩をくりぬいて水道をつくり、東側から2番目にある樋門(第2樋門)は岩を組み合わせて水道をつくっている点で異なるようです。

 

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どちらの樋門にも”仕切り戸”というものがついていました。この仕切り戸は、一方にしか開かないしくみとなっていました。

 

潮がひいているときは、水田側から海側へ戸がひらき排水されます。逆に、潮が満ちて海側から水田側へ水の流れがおきるときには、自然と戸が閉まるというものです。これを唐樋(からひ)と呼ぶそうです。

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上の写真は第1号樋門(ひもん)を上からみたものです。石垣のなかは深い穴となっています。穴のそこには水がたまっているのが確認できます。これは水田と海とをむすぶ水道の一部がみえているものです。赤矢印にしめしたように、地面の下を石でできた水道がつづいていると考えられます。

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現在では、もう水道のだいぶぶんが陥没しこわれてしまっているようです。代わりに現代風のあたらしい水門が樋門のとなりにできていました。

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次回の記事では、樋門からはなれて新田のなかを散策したときの様子をかいてみようと思います。これら潮抜き穴(樋門)から南西へ約420mの地点に厳島(いつくしま)神社があります。

 

この厳島神社は、猿喰新田がまだ猿喰湾だったころ、海のなかに浮かぶ小島だったそうです。この場所になにがあるのかなど、ご紹介したいと思います。

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