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福岡県在住。各地の史跡巡りが好きで、九州北部を中心にNikon D750をメイン機として史跡を撮っています。詳しい撮影場所は各記事に座標値として載せていますので、座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで撮影場所が表示されます。参考にされてください。

戦争遺跡 十字架の塔 福岡県水巻町古賀

場所:福岡県遠賀郡水巻町古賀

座標値:33.863728,130.691116

 

福岡県の北部にある遠賀郡水巻町。その水巻町のほぼ中央部に多賀山、豊前坊山、明神ヶ辻山の3つの山でできた丘陵地帯があります。この3つの山のひとつ、多賀山の中腹に水巻図書館があるのですが、図書館ふきんに、今回ご紹介する十字架の塔があります。

十字架の塔はいわゆる戦争遺跡です。第二次世界大戦中、日本軍の捕虜となった、アメリカ人、イギリス人、オランダ人がこの近くにある高松炭鉱で過酷な労働をさせられました。この労働の結果、病死した方、脱走を図り処刑された方など多くの人命が奪われました。

 

日本敗戦後、連合国の戦犯調査委員による責任追及を恐れた炭坑関係者が、あわてて建てたのが、この十字架の塔といわれています。その後、昭和61年(1986年)に、この地で実際に捕虜となっていた元オランダ兵のドルフ・ウィンクラー氏が水巻町に来訪されました。

 

終戦が1945年なので昭和61年(1986年)は、終戦後41年となります。終戦から41年も経っていたために、この地で痛ましい出来事があったことが、人々の記憶からなくなっていたことに、ウィンクラー氏は悲しんだそうです。

 

このウィンクラー氏来訪がきっかけで、だいぶ荒れ果てていた十字架の塔は、翌年の1987年から整備されはじめました。同年の9月に、元オランダ兵捕虜53人の名前が刻まれた銅板が設置されました。

その後も、十字架の塔はさらに左右へ拡張され、最終的には2000年6月30日に871名の故人名の刻まれた銅板が設置されました(参照:案内板と十字架の塔 - 水巻町ホームページ

水巻町のどのあたりに炭坑があったのか調べてみると、この十字架の塔のある町の中心部あたりと、中心から約3㎞南下したJR東水巻駅あたりに、多くの炭坑があったようです(参照:日炭高松炭鉱-廃墟検索地図)

 

https://haikyo.info/s/13855.html

 

 

 十字架の塔から東方面を眺めると、ボタ山が見えました。左奥に見える小高い山(一番奥の山ではない)がボタ山です。ボタ山とは、炭坑を掘った際にでた捨石(ボタ)を積み上げた山のことです。