今回は↑こちらの宝篋印塔(ほうきょういんとう)を探しにいきました。「水巻昔ばなし」(柴田貞志著)を読んでいると、写真付きで寂光院の宝篋印塔として紹介されていました。
地図: Google マップ
同書によると、昭和17年に字松ケ谷という場所で六世紀松と推定される横穴式古墳が24基発見され、この古墳の上にその霊を祀るためか、ふたつの宝篋印塔が立っていたそうです。
その宝篋印塔は昭和42年に日炭(日本炭礦株式会社)の拡張工事のために、寂光院というお寺に移転されたとありました。これがその寂光院の宝篋印塔です。
この宝篋印塔がもともと立っていた古墳は吉田片山という場所にあったんだそうです。古墳はのちに、ぼた山の下に埋もれてしまいました。その吉田片山とはどこなのか?ちょっと気になり調べてみました。しかし、google mapで検索してもその地名では検索にひっかかりません。
そこでネットで検索してみると、こちらのサイトがひっかかりました。
こちら↑では「吉田炭坑 片山炭坑」として炭坑が紹介されています。さらに片山炭坑は高松炭坑と名を変えたそう。
片山炭坑のそばに松の巨木が1本あり、これを高松と呼んでいたところから「高松炭坑」となりました。
「吉田」とか「片山」とか「高松」とか三つも名前がでてきてややこしいですが、これら三つの名前は炭坑のあった一円をさしていると予想されます。ただ吉田という地名は、現在の地図にも記載されています。吉田という地区は筑豊本線「東水巻駅」の北側、JR「水巻駅」までの間をおおよそ指すようです。
その同じ地形図で吉田炭坑とぼた山の位置関係を調べてみると、こちら「「日炭高松炭鉱の記憶」 の案内」にだいたい描かれていました。略図を元に地形図に書き込むとこんな感じになりそうです↓
筑豊本線「東水巻駅」を挟んで、吉田炭坑とぼた山があったようです。ちなみに、この記事の初めにご紹介した二基の宝篋印塔がある寂光院は↑上の地図の吉田炭坑予想円のちょうど真ん中あたりにあります。
吉田ぼた山の下に眠っていると思われる古墳群。その古墳群の上に祀られていた宝篋印塔が、吉田炭坑があったと言われる寂光院へ移転されたのですね。
寂光院は廃寺となってようで、敷地内は草ぼうぼう。お堂も荒れ果てていました。