福岡県北九州市の小倉北区に炭坑があったという情報を得て、どこにどんな炭鉱があったのか下調べをしてみます。小倉の炭坑は、そのままの名前で小倉炭鉱というそうです。参照史料は以下のとおりです。
①ひろば 北九州 2009年4月号 No.274
②小倉炭鉱発掘記
どちらの史料も”菊ヶ丘「語ろう会」”が著したものです。史料のなかには、小倉炭鉱の白黒写真や、炭坑の詳細な見取り図が描かれています。無断複写は禁止とのことなので、ご紹介はできませんが、これらの情報から小倉のどのあたりに炭鉱がひろがっていたのか想像することができます。
以下に、小倉炭鉱の略歴を記してみます。参考箇所は『ひろば 北九州 2009年4月号 No.274』P.28です。
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小倉炭鉱の歴史
昭和13年(1938年)
古谷鉱業が小倉炭鉱を創業
昭和23年(1948年)
菊ヶ丘に社宅建設を開始
昭和24年(1949年)
菊ヶ丘の社宅が完成
昭和27年(1952年)
年間19万9601トンの石炭産出を記録
従業員は約2000人
昭和28年(1953年)
集中豪雨により宇佐町坑が水没・廃坑
昭和33年(1958年)
小倉炭鉱本坑で地下水が湧出・水没・廃坑
昭和40年(1965年)
4月末で閉山
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地下水の湧出(ゆうしゅつ)により、わずか27年で小倉炭鉱の歴史はおわったようです。
小倉に長年すんでおられた90歳代のかたに小倉炭鉱についてご存じかお聞きすると、あったことは記憶しているが、どのあたりにあったのか具体的にはわからないとのことでした。
そこで『小倉炭鉱発掘記』P.34-39を参照して、小倉炭鉱があった具体的な場所をみてみます。
結論としては、図書館に保管されている地図ではなく、”菊ヶ丘「語ろう会」”の世話人である森山氏が自宅に保管していた『「最新小倉市街図」塔文社 昭和36年』に小倉炭鉱がしめされていたそうです。
その地図も史料には掲載されているのですが、無断転載が禁止なので、ご紹介はできません。そこで現在の国土地理院地図にて、おおよその小倉炭鉱があった場所をしめしてみます。
赤の破線は、小倉炭鉱があった当時の国鉄 添田線をしめしています。のちに小倉鉄道となる鉄道です。黄色の丸は小倉炭鉱があったとおもわれる場所をしめしています。鉄道をはさんで両側に小倉炭鉱があったことがわかります。
それぞれの場所を座標値にて示してみます。
場所:福岡県北九州市小倉北区大畠一丁目
座標値:33.873017,130.895061
場所:福岡県北九州市小倉北区宇佐町二丁目
座標値:33.874317,130.892422
地図の右側…つまり東側には足立山がそびえています。足立山の西麓に、むかしは「第一鷲峯炭坑」、「第二鷲峯炭坑」、「吉熊炭坑」、「第一神代炭坑」、「撰炭坑」、「勝山炭坑」など複数の炭鉱があったそうです。そのなかのひとつをうけつぐかたちで「小倉炭鉱」があったと考えられるということです(参照:『小倉炭鉱発掘記』P.37-38)
現在のこの場所には、炭坑があった物的証拠はないとのことです。しかし、機会をつくって小倉炭鉱があったとおもわれる場所にいってみたいとおもいます。