福岡県北を流れる一級河川である遠賀川にまつわる歴史をたどっていくと、その流域にたくさんの史跡をみつけることができます。
『水巻昔ばなし(柴田貞志著)』P69を読むと、福岡県遠賀郡水巻町の「えぶり」という地区に、”やぶれ地蔵”という珍しい名前の地蔵尊が祀られるといいます。
やぶれ地蔵の”やぶれ”というのは、”屋船”という文字が変化したもので、家や船を守る地蔵尊という意味です。
やぶれ地蔵尊がまつられる場所は、『筑前国続風土記附録』では以下のように紹介されているとのことです。
村の巽(南東)一町ばかりにさくら渕という処あり、その辺に石仏あり、やぶれ地蔵という
この説明文自体が”えぶり”という集落のことを紹介しているものです。そのため村というのは”えぶり村”ということになります。
でも「村の巽(たつみ)一町ばかり」とはどういう意味なのでしょう?巽という文字自体が東南という意味をもつようなので参照、えぶり村の南東一町…100mほどの場所という意味になりそうです。
えぶり村の中心地を、上の地形図の”えぶり(一)”…つまり、えぶり一丁目と仮定すると、やぶれ地蔵があると考えられる場所は↓下のようになります。
この赤い丸で囲んだ場所をGoogle mapのストリートビューでさがしてみるとありました。↓下のストリートビューの中央ふきんにお堂があり、お堂のなかに数体の石仏がまつられているようです。
場所:福岡県遠賀郡水巻町えぶり1丁目
座標値:33.853774,130.688056
そしてお堂にむかって右側に墓石がみえますが、これは炭坑で亡くなったかたがたの無縁墓地と考えられます。
明治初期に近くの炭坑が水没したので、その無縁墓地もここで弔うようになった(『水巻昔ばなし』P69)
遠賀川は、このえぶり村の上流側で氾濫し、上流側の家や船が流されました。その流された家や船などの漂流物が、上のストリートビューの崖にぶつかりました。
この崖のことを「さくら渕」と呼んでいたため、ストリートビューに写るお堂にも「桜渕地蔵菩薩」と書かれた看板がかけられています。
書籍で紹介されている「やぶれ地蔵」は「桜渕地蔵菩薩」とは名前がちがいますが、別のものなのでしょうか?もうすこし桜渕地蔵菩薩の周囲をさがしてみると、もうひとつ地蔵菩薩がありました↓
場所:福岡県遠賀郡水巻町えぶり1丁目
座標値:33.853865,130.687576
「桜渕地蔵菩薩」のお堂から、西へ約40mすすんだ場所に、この一基の地蔵菩薩が祀られています。どちらが「やぶれ地蔵」を指すのかは不明ですが、こちらの地蔵菩薩も、ストリートビューをみるかぎりでは、相当にふるいものだと感じられます。
こちらの場所は崖がえぐられており、遠賀川が氾濫したときの漂流物のふきだまりとなった場所としては、より言い伝えに合った場所だと感じられます。
おそらく大洪水のときに、上流から流れてきた多くの船や家が桜渕の断崖に激突して、撃破されたことから(やぶれ地蔵が)祀られたのであろう。
地域で祀られている多くの地蔵菩薩は、それがどうして祀られているのか、部外者にとってはわからない場合が多いです。しかしこの「やぶれ地蔵」については、祀られた由縁が書物にも示されており、めずらしいケースと考えられます。