本を読むことは、本に書かれた内容をただ受け入れるだけでなく、例えば、Kindleであれば、そのなかにメモを書き込むことで、本に書かれた情報に自分自身の思考や解釈を加えることができます。こうすると、主体的に考える力を養えると考えます。頭の中で漠然とした考えを文字化することで、思考が整理され、新しい考え方を生み出すことができ、「書いてから考える」「書きながら考える」プロセスは、新しいアイデアを生み出すきっかけになるのではないかと考えます。特に、複雑な問題について深く考え続けているときに、偶発的なきっかけで新しいアイデアが生まれることがあり、読書はそのための「情報」という燃料を提供します。また、読書を通じて様々な視点や概念を得ることで、身の周りの生活を「著者たちの世界観」を通して見ることができるようになります。
読書や本に書き込んだ自分のメモを通じて得られた言葉や概念は、自分自身との対話のツールとなります。本を読んでいるときに気づいた日々の体調や感情、出来事を、読書の枠にとらわれず自由に書き出すことで、自身の内面を整理し、深く理解することにつながると考えます。夜、心をおちつけて読書をしているとき、昼間、他人に言われて傷ついた言葉を文字にすることも、一種のカウンセリング効果があり、感情を吐き出し、その言葉でなぜ自分が傷ついたのかを理解するきっかけとなるのではないかと考えます。また、読書を通して心に残った体験は、自らを励ます支えとなることもあり、逆境に立ち向かう原動力になることもあります*1。読書、特に文学や哲学書を通じて、「答えの出ない事態に耐える力」であるネガティブ・ケイパビリティ*2を培うことができます*3。この力は、より深い理解や発展的な洞察に繋がるとされます。
読書ノートや日々のメモを通じて情報を整理することで、知識が自分の一部となり、自身の知識や経験を蓄積し、成長を実感できます。これは、間違いや失敗から学び、次に活かすプロセスを記録することで、能力向上につながると考えます。特に、一つの本から「芋づる式」に関連する本を次々に読んでいくことで、そのテーマについて「ふくらみのある知」を持つことができ、立体的なイメージを描けるようになります*4。読んだ知識や情報を自分というフィルターを通し、自分なりの表現に解釈し直すことで、日常生活や仕事への理解が深まり、そのなかで実践することができるのではないかと考えます。
読書は、私にとっての「真・善・美」を考える上でとても重要な練習であり、共感能力や寛容の精神を育む土台となっています*5。他者の視点や感情に触れることで、その心情や状況を想像する力を養うことができると考えます。
図書館を「知の貯蔵庫」としてだけでなく、「買いたい本を探す場所」としても活用することで、読書へより主体的に関わることができると私は考えます。また、時間をみつけて本を小刻みに読み進めることで、日常生活の中で無理なく読書時間を確保し、読書量を増やすことが可能だと感じています。さらに、本を読むことを「勉強」として捉えるのではなく、映画を観る、音楽を聴く、写真を撮るといった娯楽の一部として捉えることで、「本が読めない」という状況を避け、楽しく継続できるのではないかと考えています*6。