書籍『正法眼蔵(一)』増谷文雄 訳注.講談社学術文庫P.25‐27。
〈原文〉
釈迦牟尼如来会中有一苾芻、作是念、「我欲敬礼。甚深般若波羅蜜。」 中離、無諸法生滅、而有妙慧、解脱。解脱知識施設可得、亦有諸根施設可得、亦有阿羅漢果施設可得、亦有仏法僧宝施設可得、亦有転妙法輪施設可得、亦有仏知見施設可得、亦有 無上正等正覚施設可得、亦有仏法僧宝施設可得、亦有転妙法輪施設可得。仏知、其念、告苾芻言、「如是如是。甚深般若波羅蜜、微妙難測。」 而今の一苾芻の獨作念は、諸法を敬礼するところに、離無生滅の般若、これ敬礼なり。この正当敬礼時、ちなみに施設可得の般若現成せり、いはゆる戒定慧乃至有情類等なり。これ無といふ。無の施設、かくのごとく可得なり。これ甚深微妙難測の般若波羅蜜なり。
〈現代語訳〉
釈迦牟尼如来の集会の中に一人の比丘がいて、ひそかに次のように考えました。「私は甚深なる般若波羅蜜を敬礼したい。般若波羅蜜とは、一切のものが生滅しない境地にあって、素晴らしい智慧と解脱を得るものです。解脱の知恵を得るための教え、様々な修行の段階、阿羅漢の境地、仏・法・僧の三宝、正しい教えを広める転妙法輪、仏の智慧と見識、そして無上の正しい悟りを得るための教え、これらすべてを般若波羅蜜によって得ることができます。」彼女のその思いに対して、仏は答えました。「その通り、その通り。甚深なる般若波羅蜜は、不思議にして計り知れません。」この比丘のただ一つの思い、すなわち諸法を敬礼するということは、生滅を離れた般若、これこそが真の敬礼なのです。この正しい敬礼の時に、具体的な行いとして得られる般若が現れます。それは戒(戒律)、定(禅定)、慧(智慧)、そしてあらゆる衆生を救うことなどです。これらは「無」という境地です。「無」の働きは、このようにして得られるのです。これこそが、甚深にして不思議、計り知れない般若波羅蜜なのです。
〈意訳〉
ある時、お釈迦様の説法を聞いていた一人の修行僧が心の中で深く思いました。「ああ、なんと深遠な般若波羅蜜(智慧の完成)であろうか。それは、あらゆる存在が生じたり滅したりすることのない、永遠の真理の中に存在する、究極の智慧であり、すべての苦しみから解放される道なのだ。この智慧こそが、解脱に至る教え、様々な修行の段階、悟りを開いた阿羅漢の境地、仏・法・僧という三宝の尊さ、そして教えを広めるための真理の車輪、さらには仏陀の完全な智慧と洞察、そして何よりも崇高な完全なる悟り、これらすべてを実現させてくれるのだ。」
この修行僧の純粋な思いを受け、お釈迦様は静かに頷き、「まさにその通りだ。深遠なる般若波羅蜜の真髄は、言葉では表現しきれないほどに奥深く、測り知れないものなのだ」と応えられました。この修行僧が心の中で抱いた「あらゆる真理を敬い慕う」というただ一つの念こそが、生滅を超越した般若、つまり真の智慧への敬意なのです。そして、この真の敬意が心に宿った時、具体的に実践されるべき智慧の働きが現れてきます。それは、戒律を守り、禅定を深め、智慧を磨き、一切の生きとし生けるものを救済しようとする慈悲の心など、多岐にわたります。これらはすべて「無」という究極の真理に基づいています。「無」という真理は、このようにして具体的な形で現れ、私たちに力を与えてくれるのです。これこそが、測り知れないほど深遠で、言葉を超える不思議な、究極の般若波羅蜜なのです。
日常生活に活かせる教え
物事の本質を見極め、執着を手放し、現状をありのままに受け入れることが、心穏やかに生きる道だということです。
「諸法生滅を離れる」とは、全てのものは常に変化し、生まれては消えるという無常の道理があることを示しています。日常生活で、良いことがあれば喜び、悪いことがあれば落ち込みがちですが、これらはすべて一時的なものです。喜びや悲しみ、成功や失敗といった出来事に対し、一喜一憂することなく、その背後にある本質を見つめる視点を持つことが大事だと考えます。
「無の施設、かくのごとく可得なり」という箇所は、当たり前だと思っている「有る」ものも、実はその本質は「無」であるということを教えてくれています。例えば、人間は、仕事や人間関係、物質的な豊かさに価値を見出し、それらを得ることに執着しがちです。しかし、それらもまた変化し、いつかは失われるものです。この「無」の概念を理解することで、執着から解放され、より自由な心で生きることができるということが学べます。
要点をまとめると…
変化を受け入れる柔軟性を持つこと
計画通りにいかないことや予期せぬ出来事に対しても、それを悪いことと捉えるのではなく、自然な変化として受け入れることで、ストレスを軽減し、新たな解決策をみつけることができる。
執着を手放す勇気を持つこと
物や地位、人間関係など、失うことを恐れてしがみつくのではなく、必要であれば手放す勇気を持つことで、心にゆとりが生まれ、新しい価値を見出す機会を得られる。
今この瞬間を大切にすること
過去の後悔や未来への不安にとらわれず、「今」という瞬間を意識し、その中でできることに集中することで、充実感と心の平安を得られる。
ありのままの自分と他者を受け入れること
完璧を目指すのではなく、自分の弱さや不完全さ、そして他者の多様性を認め、受け入れることで、より豊かな人間関係を築き、自己肯定感を高めることができる。