福岡県北九州市小倉北区に”片野”という地区があります。地図上でみると、現在、片野は市街地のなかの一角です。大正時代のふるい地図をみてみると、”片野”周辺は田んぼがひろがっており、集落が南西から北東へむかって細長くできているのがわかります。
参照:今昔マップ
片野の北東には”富永”、さらに北東には”萩崎”という集落がつらなります。小倉は現在では片野周辺もふくめた大きな街となっていますが、大正時代以前はひとつの集落にすぎませんでした。
書籍『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会編』P.70-71をみてみると、この細長い集落をつっきる細い路地は、江戸時代から続く路地だということが紹介されています。
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そんな片野の一角に、角神社(すみじんじゃ)があります。角神社は現在も大正時代とおなじ場所に鎮座しています。
場所:福岡県北九州市小倉北区片野一丁目
座標値:33.870612,130.882528
この角神社の境内には2基の庚申塔がまつられています。どちらも参道の右側にまつられています。そのうちのひとつがこちらです↓
「猿田彦大神」と刻まれた文字塔で、庚申塔の上部が斜めになっていて、ナイフのような形です。
場所:福岡県北九州市小倉北区片野
座標値:33.870669,130.882372
猿田彦大神の文字の右側には「文政四辛巳三月吉日」と刻まれています。そして左側には「講中」の文字がみえます。
文字がはっきりと刻印されており、さらに、その文字がほとんど風化していないので読みやすくありがたいです。
文政4年は西暦1821年で、干支は辛巳(かのとみ)です。
もうひとつの庚申塔は、上記の庚申塔のすぐそば(右手側)に祀られています。こちらの庚申塔は風化がはげしく、刻まれている文字がほとんど読み取れませんでした↓
座標値:33.870705,130.882308
↓下の写真は表面の凹凸がめだつように加工したものです。それでも文字はほとんど確認できませんでした。かろうじて「天」という文字がみえます。おそらく庚申尊天ときざまれていたのではないかと推測します。
今回ごしょうかいした角神社は、江戸時代からつづく細い路地沿いに鎮座していることをご紹介しました。この路地沿いには、他にも別の場所に2基の庚申塔をみつけることができたので、追い追いご紹介したいと思います。