福岡県北九州市の小倉北区に三萩野(みはぎの)という場所があります。この場所ふきんには江戸時代に集落があり、その集落の中央部を細い道がとおっていました。その細い道は現在(2020年)も残っています。
上の写真が江戸時代から残っている道で、やはり昔の道らしく、車一台がやっととおれるほどの細い道です。昔は自動車などはないので、牛馬と人がとおれる程度の幅の道がつかわれていたためです。
地形図上で、江戸時代からのこっている道を赤破線で示しました↓
前回の記事ではこの道沿いにある角(すみ)神社の庚申塔をご紹介しました。今回の記事では角神社から北北東へ約80m地点に祀られている庚申塔をご紹介します。
場所:福岡県北九州市小倉北区三萩野
座標値:33.871498,130.882699
住宅地のなかで家の間にはさまれるような形で庚申塔はまつられていました。庚申塔の下には大きな石が数個積まれています。その石積みの上にコンクリートで、庚申塔は接着されていました。
庚申塔には「猿田彦大神」と刻まれ、その右側に「享和四年」、左側に「甲子二月吉日」と刻まれていることがはっきりとわかります。
享和四年は西暦1804年、干支は甲子(きのえね)で庚申塔に刻まれている文字と整合します。書籍『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会)』P.71にも、この庚申塔が紹介されており、この庚申塔がある場所が、ちょうど萩崎村と片野村との境目にあたっていたといわれます。
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『北九州歴史散歩 豊前編(北九州市の文化財を守る会)』P.70に掲載されている明治時代の地形図をみてみると、片野村と萩崎村との間に、「富水(とびみず)」という小さな集落があるようです。
今回ごしょうかいした庚申塔がある地点を、その明治時代の地図にかさねあわせてみると、ちょうどその「富水(とびみず)」という集落あたりに庚申塔がまつられているようにみえます。