こちらの写真は、江戸時代に整備された長崎街道沿いにある宿屋の内部を撮影したものです。長崎街道は、豊前国小倉(北九州市小倉北区)から、肥前国長崎(長崎県長崎市)へとのびる街道です。
宿屋のなまえは「立場茶屋 銀杏屋(たてばぢゃや いちょうや)」です。2018年1月に撮影しました。
場所:福岡県北九州市八幡西区石坂
座標値:33.806538,130.749747
この宿屋さんは「上段の間」というめずらしい構造をもっています。上の「上段の間」写真をみていただくとわかるように、大名がとまる部屋は、その他の家臣がとまる部屋とくらべると、一段高く床が設置されています。
「銀杏屋」を見学をしたとき、係りのかたに案内をしていただきました。もう2年前のことでわたしの記憶があいまいなのですが、たしか、「上段の間」の天井裏部分は工夫がこらされている…ということでした。
その工夫とは、天井から「上段の間」の会話をきかれないように、部屋の天井は壁土がおおっているというものです。
なんのためかというと、部屋のまわりを土で覆われた厚い壁をつくることで、天井の板にちょくせつ耳を当てたり、天井に穴をあけられて中の様子をみられないようにしている…とのことです。
天井裏にはいらせていただき、「上段の間」の天井ぶぶんをながめたものが↓下の写真です。
せまい画角の写真だけではわかりにくいので、模式図を描いてみます↓ 上の写真は写真①の位置で天井裏の壁をとったものです。
いっぽう、写真②の位置で天井裏の壁を撮ったものが下です↓ 厚みのある天井は横部分と上部分がしっかりと土壁となっていることが確認できます。
これは外部のものに、天井から内密の話をきかれるのを防ぐと同時に、天井から敵の侵入を防ぐ目的もあったと考えられます。
ここまで厳重に、主君が泊まる「上段の間」をまもる必要があったのですね。
ちなみに、こちらが1階から屋根裏へあがるためのの入口です↓
↓屋根裏にあがってからすぐの広間です。
↓屋根裏です。太い梁が縦横に組み込まれています。
参照:
『北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)』P.112-113
『長崎街道 (大里・小倉と筑前六宿内宿通り底井野往還) (九州文化図録撰書 (1))』P.41
『長崎街道で「上段の間」を唯一持つ珍しい建物』日々の”楽しい”をみつけるブログ