福岡県田川郡に、水神宮そばに湧く泌(たぎり)と呼ばれる泉があるといいます。情報源は『遠賀川-流域の文化誌』P198です。泌の周囲は田園が広がり、泌の西側へ100mほど行った場所にはスッポンの養殖場があります。田園の間を流れる水路を眺めてみても、流れる水は透き通っています。とても水のきれいな地区であることがわかります。
場所:福岡県田川郡糸田町原
座標値:33.648178,130.778373
泌の水自体はややにごりがあり、水面には藻が繁殖していて、「綺麗な泉」とは決していえないものでした。しかし、太平洋戦争後しばらくまでは、泉の水量は多く、子どもたちもここで水遊びを楽しんでいたそうです(参照:『遠賀川-流域の文化誌』P198)
”太平洋戦争後しばらく”…ということは、太平洋戦争が終結したのが1945年であるため、1945-1955年ごろまでは水量が豊富であったと想像します。
その後どうして水量が減少したのかというと、糸田町の炭鉱である「明治豊国(ほうこく)鉱業所五坑」が、地下水の揚水をしていたためでした。豊国鉱業が上場を廃止したのが1969年ですが(参照)、五坑の揚水を中止したのは1952年1月のことです。揚水を中止してからは、泌にはふたたび水が湧いてでるようになりました。
泌の水は、この地区ではとても重要なものだったそうで、泌のそばには水神宮が建てられています。泌自体も玉垣(たまがき)で囲われ、ここが神聖な場所であることがあらわされています。
1893(明治26)年のこと、6月から約60日間降雨がなく、稲や畠作物が枯死する状況であった。泌(たぎり)でも雨乞い祈願がおこなわれ、参詣者が多くて露店が出るほどであった(『遠賀川-流域の文化誌』P198)
泌のすぐとなりには、小さな公園と公衆トイレがつくられています。特別、駐車場はないのですが、泌の脇の道は幅が広くなっいます。この付近は駐車禁止の場所ではないために、他の車の邪魔にならないよう道の脇に駐車をさせていただきました。
『遠賀川-流域の文化誌』を拝読すると、遠賀川に関わる史跡が、その流域にたくさん存在しており驚きます。この泌(たぎり)も、遠賀川の源流に近い場所にある「首淵(つぶろぶち)」からつながっているという言い伝えがあり、遠賀川とかかわりがあります。※首渕については、2019年9月9日のエントリー「首渕(つぶろぶち)のそばに祀られる女神さま 福岡県嘉麻市桑野」をご参照ください