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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

眼鏡岩 長崎県佐世保市瀬戸越町

場所:長崎県佐世保市瀬戸越町

座標値:33.203414,129.718336

 

眼鏡岩は、「①数千万年前の堆積」→「②海食による洞窟形成」→「③地殻変動による隆起」→「④陸上での風化・差別侵食」という、とても長い地球の営みが重なって生み出された地形です。

 

眼鏡岩を構成する岩石は、砂岩です。この砂岩は「佐世保層群(させぼそうぐん)」と呼ばれる地層の一部に属します。

 

地質図naviでは、この眼鏡岩がある地質がつくられたのは「新生代 古第三紀 漸新世 チャッティアン期〜新第三紀 中新世 アキタニアン期」…つまり「約2810万年前から約2044万年前」までの時代であったことがしめされています。

 

この時期は、日本海が拡大を始め、日本列島の原型が作られ始めた時期とも重なっています。下図の黄色で着色された地域が砂岩で構成されている地質部です。

当時のこの地域は、浅い海や、河口、あるいは石炭層を含むことから湿地帯のような環境であったと推定されます。そこで砂や泥が長い時間をかけて堆積し、固まって砂岩や泥岩の層(互層)となりました。

 

その後、地殻変動や海水準の変化(海進)により、この佐世保層群が形成された地層が、波の力が強く作用する海岸線に位置することになりました。

 

砂岩は、層(地層が堆積した時の縞模様)によって硬さが不均一であったり、地殻変動によってできた「節理(せつり)」と呼ばれる割れ目ができたりします。波の力(海食)は、この岩石の比較的もろい部分や節理を選択的に削り取っていきます。この作用により、まず岩壁に洞窟、すなわち「海食洞」が形成されました。

ここは、案内板に示されているように「海の底」でしたが、その後の広い範囲の地殻変動(北松浦半島一帯の隆起)によって、海食洞を含む地層全体が海面よりも上に持ち上げられ、陸地となりました。

 

陸上に露出した砂岩は、雨水、風、気温の変化(特に冬季の凍結と融解の繰り返し)といった「風化作用」にさらされました。砂岩は硬い層と柔らかい層が互い違いになっていることが多く、柔らかい部分が速く削られ、硬い部分が残る…差別侵食…が起きました。

 

もともと海食によって形成されていた洞窟が、陸上での風化、特にこの差別侵食によってさらに削られ、貫通することになりました。そして、穴の周囲の比較的硬い部分(天然のアーチ)が残り、現在の「眼鏡」のような独特の形状が完成したと考えられます。

佐世保市を含む北松浦半島(きたまつうらはんとう)一帯に砂岩と泥岩の地層が広範囲に広がっているのは、約3000万年前から1500万年前(新生代古第三紀〜新第三紀)の、この地域が、「浅い内湾(ないわん)」、あるいは「河口のデルタ地帯」だったと考えられます。

 

当時の日本列島はまだ大陸の一部でしたが、地殻変動(日本海の拡大など)によって、現在の佐世保を含む北九州地方が広範囲にわたって沈降しました。これにより、土砂がたまるための巨大な「くぼ地(堆積盆:たいせきぼん)」ができました。このくぼ地に、土砂が流れ込んできて、砂岩や泥岩の層が形成されたと考えられます。