




北九州市小倉北区船場町鐘座にある瑜伽神社(ゆがじんじゃ)の御由緒です。
瑜伽神社の御祭神
倉稲魂神(ウカノミタマノカミ)
稲荷信仰の神様で、穀物や食べ物の神様
大国主神(オオクニヌシノカミ)
国造りや福の神
事代主神(コトシロヌシノカミ)
恵比寿様としても知られ、商業や漁業の神様
瑜伽神社の歴史と変遷
1. 創建と初期の役割
瑜伽神社の始まりは非常に古く、奈良時代に元正天皇の御代、養老二年(718年)と伝えられています。当時は「蛭子神社(えびすじんじゃ)」という名前でした。神社のある場所は、紫川と神岳川の合流点にあり、小倉の街が始まった場所、当時は「規矩(きく)の高浜浦」と呼ばれていました。ここは、奈良時代から太宰府と結ぶ交通の重要な拠点であり、万葉集にもその様子が歌われています。当時の規矩の高浜浦は漁民が多く住む場所で、蛭子神社は「漁民や旅人の守り神」として、地域の人々から深く信仰されていました。
2. 戦国時代末期~江戸時代初期の変化
慶長年間(1596年~1615年頃)、細川忠興(ほそかわただおき)公が小倉城を改修した際に、高浜浦は現在の長浜の地に移転しました。この時、神社の隣には「達平院(たっぺいいん)」というお寺が建てられ、神社はお寺の境内にある神社のような形になりました。さらに、稲荷信仰と結びつき、現在の主祭神の一柱である倉稲魂神が合祀され、この時に社名が「瑜伽神社」へと変わりました。
3. 明治時代以降の独立と復興
明治六年(1873年)、政府が出した「神仏分離令(しんぶつぶんりれい)」により、瑜伽神社は独立した神社となりました。創建以来、お祭り(祭祀)は厳かに執り行われ、春と秋の年二回の祭典は今日まで途切れることなく続いています。しかし、太平洋戦争の終わりとともに社会が混乱し、この由緒ある神社も一時荒れてしまいました。そこで、昭和16年(1941年)に、地元の住民が中心となって寄付を募り、社殿(本殿)と拝殿が完全に修復され、現在に至っています。
この由緒は、昭和四十六年(1971年)の六月に神社の総代によってまとめられたものです。

場所:福岡県北九州市小倉北区船場町
座標値:33.882942,130.878493

「文化十二乙亥 五月吉日」と刻まれています。西暦1815年、干支は乙亥(きのとい)です。
