北九州市には、若松区と戸畑区、八幡西区に囲まれる洞海湾(どうかいわん)があります。この洞海湾では、そのむかし海水を原料にして製塩がおこなわれていたといいます。製塩には、薪(たきぎ)とともに、石炭も燃料としてつかわれていました参照。
製塩がおこなわれていた痕跡が、若松区の「日吉神社」にのこっています。神社境内に「塩土老翁神(しろつちおじのかみ)」と刻まれた石塔がまつられており、この神さまが製塩にかかわる神さまということです。
参照:北九州歴史散歩 筑前編(北九州市の文化財を守る会編)P.26
太宰府観世音寺領の産物は塩で、この地はその焼山、すなわち薪を採る場所であったことと、古代から江戸期にかけて洞海湾で製塩が盛んであったことを裏付けています。また、近年の発掘調査で神社周辺から多くの製塩土器が発掘されています。
日吉神社の拝殿にむかって左側に「両児嶌大明神(ふたごじま-だいみょうじん)」の鳥居と祠があり、さらにその左手がわに五基の石塔がまつられています。五基のうち一番左側が「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)」の石塔です。
場所:福岡県北九州市若松区東二島
座標値:33.889232,130.756072
以下はWikipedia-シオツチノオジの引用です。
名前の「シホツチ」は「潮つ霊」「潮つ路」であり、潮流を司る神、航海の神と解釈する説もある。『記紀』神話におけるシオツチノオジは、登場人物に情報を提供し、とるべき行動を示すという重要な役割を持っている。海辺に現れた神が知恵を授けるという説話には、ギリシア神話などに登場する「海の老人」との類似が見られる。
また、シオツチノオジは製塩の神としても信仰されている。シオツチノオジを祀る神社の総本宮である鹽竈(しお-がま)神社(宮城県塩竈市)の社伝では、武甕槌神(たけみかづち‐の‐かみ)と経津主神(ふつぬし-の-かみ)は、塩土老翁の先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとする。武甕槌神と経津主神はすぐに去って行くが塩土老翁はこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたという。白鬚神社の祭神とされていることもある。
ここ北九州市の若松地域でも古代から、土器をつかって海水を煮詰めて塩をとりだしていたということがわかります。古代の若松地区は西側をながれる遠賀川と洞海湾に囲われ、島のようになっていました。この島に縄文時代からヒトが住んでいたということがわかります。当時の洞海湾は、おそらく、現在よりも水深が浅く、浅瀬も多かったと考えられます参照。
この洞海湾が深く掘削されたのは、湾岸の工業が盛んになってきてからなので、「塩土老翁神」がまつられていた当時はまだ、浅い洞海湾のままだったのでしょう。遠浅の海で海産物を採り、海水からは塩をとっていた当時の風景が頭のなかにうかんでくるようです。