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福岡県在住。九州北部を中心に史跡を巡っています。巡った場所は、各記事に座標値として載せています。座標値をGoogle MapやWEB版地理院地図の検索窓にコピペして検索すると、ピンポイントで場所が表示されます。参考にされてください。

般若波羅蜜多~智慧と実践~

書籍『正法眼蔵しょうぼうげんぞう(一)』増谷文雄 訳注.講談社学術文庫P.32‐33。

 

【原文】

釈迦牟尼仏言、

「舎利子。是諸有情。於般若波羅蜜多、応知仏住供養礼敬。思惟般若波羅蜜多、応如供養礼敬仏薄伽梵。所以者何。般若波羅蜜多、不異仏薄伽梵、仏薄伽梵、不異般若波羅蜜多。般若波羅蜜多、即是仏薄伽梵。仏臼井伽梵、即是般若波羅蜜多。何以故。舎利子、一切如来応正等覚、皆由般若波羅蜜多得出現故。何以故。舎利子、一切如来応正等覚、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切菩薩摩訶薩・独覚・阿羅漢・不還・一来・預流等、皆由般若波羅蜜多得出現故。舎利子、一切世間十善業道・四静慮・四無色定・五神通、皆由般若波羅蜜多得出現故」

 

しかあればすなはち、仏薄伽梵は般若波羅蜜多なり。般若波羅蜜多は是諸法なり。この諸法は空相なり、不生不滅なり、不垢不浄、不増不減なり。この般若波羅蜜多の現成せるは、仏薄伽梵の現成せるなり。問取すべし、参取すべし。供養礼敬する、これ仏薄伽梵に奉覲承事するなり、奉覲承事の仏薄伽梵なり。

 

正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜多

爾時天福元年夏安居日、在観音導利院示衆。

寛元二年甲辰春3月廿一日、在越宇吉峯精舎侍者寮書写之。懐弉



【現代語訳】

釈迦牟尼仏は言われた。

 

「舎利子よ。あらゆる衆生は、般若波羅蜜多(智慧の完成)に対して、あたかも仏そのものが現前しているかのように供養し、礼拝し、尊敬しなさい。また、般若波羅蜜多について深く考えることは、仏そのものである世尊を供養し、礼拝し、尊敬することと同じであると知りなさい。なぜなら、般若波羅蜜多と仏である世尊は少しも異なるものではなく、仏である世尊もまた般若波羅蜜多と異なるものではないからだ。般若波羅蜜多はまさしく仏である世尊であり、仏である世尊はまさしく般若波羅蜜多なのだ。どうしてそう言えるのか。舎利子よ、あらゆる如来や真に悟りを開いた人々は、皆、般若波羅蜜多によってこの世に現れることができたからである。またどうしてそう言えるのか。舎利子よ、あらゆる菩薩、独覚、阿羅漢、不還(もはや迷いの世界に戻らない聖者)、一来(あと一度だけ迷いの世界に戻る聖者)、預流(聖者の流れに入った者)といった人々も、皆、般若波羅蜜多によって現れることができたからである。舎利子よ、この世における十善業道(十の善い行い)、四静慮(四種の禅定)、四無色定(物質的な形にとらわれない四種の禅定)、五神通(五種の超能力)といった一切の優れた教えや力も、皆、般若波羅蜜多によって現れることができたからである。」

 

それゆえに、仏である世尊は般若波羅蜜多であり、般若波羅蜜多はこれらあらゆる現象である。そして、これらの現象は「空」の姿であり、生まれることもなく滅することもなく、汚れることもなく清らかになることもなく、増えることも減ることもない。この般若波羅蜜多がまさに現れていることは、仏である世尊がまさに現れていることに他ならない。これをよく尋ね、よく学び取りなさい。般若波羅蜜多を供養し礼拝することは、これこそが仏である世尊にお仕えし、奉仕することであり、奉仕される仏である世尊そのものなのだ。

 

これは『正法眼蔵』の「摩訶般若波羅蜜多」という巻からの引用である。天福元年(1233年)の夏安居の日に、観音導利院で大衆に示されたものであり、寛元二年(1244年)3月21日に、越前(現在の福井県)の吉峯精舎の侍者寮で懐弉が書き写したものである。

 

【意訳】

「最高の智慧」とも訳される般若波羅蜜多について、とても大切なことを説いており、釈迦牟尼仏は、般若波羅蜜多を深く理解し、それに基づいて生きることが、いかに重要であるかを強調しています。

 

釈迦牟尼仏は、「舎利子よ」と弟子に呼びかけ、このように教えました。私たちは般若波羅蜜多を、まるで生きた仏様そのもののように敬い、大切にしなければなりません。なぜなら、般若波羅蜜多を深く学び、その教えを心に刻むことは、仏様を敬い、仕えることと全く同じ意味を持つからです。

 

これは、般若波羅蜜多と仏様が、少しも違わない一体のものだからです。般若波羅蜜多が仏様であり、仏様が般若波羅蜜多なのです。

 

では、どうしてそう言えるのでしょうか? それは、すべての悟りを開いた仏様が、般若波羅蜜多の力によってこの世に現れたからです。また、悟りを目指す菩薩や、一人で悟りを開いた独覚、迷いの世界から完全に抜け出した阿羅漢といった、すべての聖者たちも、皆この般若波羅蜜多によって導かれたのです。さらに、私たちがこの世界で行う良い行いや、心を落ち着かせる瞑想、そして超能力といったものまで、すべてが般若波羅蜜多の働きによって現れると説かれています。

 

つまり、仏様そのものが般若波羅蜜多であり、そしてこの般若波羅蜜多こそが、世の中のあらゆる現象そのものなのです。これらの現象は、仏教でいう「空(くう)」の真理に基づいています。「空」とは、固定された実体がないことを意味し、具体的には「生まれることもなく、滅することも、汚れることも清らかになることも、増えることも減ることもない」という性質を持っているとされます。

 

この般若波羅蜜多が私たちの目の前に現れていることは、まさに仏様が私たちと共にいる証拠なのです。

 

ですから、私たちはこの般若波羅蜜多の教えを真剣に問いかけ、深く学び取るべきです。般若波羅蜜多を敬い、大切にすることは、仏様にお仕えし、その教えを実践することに他なりません。それは、私たちが本当に仕えるべき仏様そのものなのです。

 

この教えは、道元の主著である『正法眼蔵』の中の「摩訶般若波羅蜜多」という部分に書かれており、1233年の夏に、道元禅師が弟子たちに説かれたものです。

 

【日常生活にどのように活かすか?】

空の考えを活かす

般若波羅蜜多の核となる教えの一つが、「空(くう)」の考え方です。これは、「すべての物事には固定された実体がない」という意味です。

 

忙しい日常生活を送っていると「こうあるべきだ」「こうでなければならない」という強いこだわりを持ちがちです。しかし、物事は常に変化し、固定されたものではないと理解することで、頑なな思考から解放され、もっと柔軟に物事を捉えられるようになります。たとえば、自分の意見に固執しなければ、他者の意見も受け入れやすくなると考えられます。

 

人生は変化の連続です。良いことも悪いことも、いつまでも続くものではありません。この「空」の視点を持つことで、変化を自然なものとして受け入れ、不必要な苦しみや執着を減らすことができるのではないでしょうか。例えば、うまくいかないことがあっても、「これは一時的なものだ」と捉え、必要以上に落ち込まない…と考えます。

 

物事が固定されたものではなく、様々な縁によって成り立っていると考えると、一つ一つの出来事や人との出会いに対して、より深く感謝の気持ちを持てるようになのではないかと考えます。

 

一体性を活かす

般若波羅蜜多は、仏様と般若波羅蜜多が一体であるように、あらゆるものが深く関連し合っていることを示しています。

 

私たちが他者と繋がっていると感じることで、より深く相手を理解し、思いやりを持って接することができるのではないでしょうか。例えば、職場で同僚の状況を自分のことのように感じ、協力的な態度を取る、といった行動に繋がると考えます。

 

また、自分の思考や行動が、巡り巡って周囲や社会に影響を与えることを意識することで、より責任感を持って日々を過ごせるようになると考えます。

 

「今ここ」に集中する

般若波羅蜜多は、あらゆる存在が「空」であると同時に、現に目の前にあるものとして「現成(げんじょう)」していると説きます。

 

過去の後悔や未来への不安にとらわれず、今この瞬間に意識を集中することの重要性を示しています。目の前の仕事、目の前の人との会話、目の前の食事など、「今ここ」に全力を尽くすことで、より充実した時間を過ごせるのではないかと考えます。