Google mapに口コミを投稿しているかたが写してくださっている写真に庚申塔が写っていることがあります。またGoogle ストリートビューを眺めたりして、「庚申塔がありそうな神社だな」とめぼしをつけたりもしています。
糸田町にある大宮神社も、このような経緯で「庚申塔がありそうな神社だな」と考え、足を運ぶことにしました。
前回の記事でご紹介した”庚申塔らしい石塔”が、投稿写真のなかにたまたま写っていました。現地に赴くと、おなじ大宮神社の、一ノ鳥居のすぐそばにはたくさんの庚申塔が横たえられていることがわかりました。
場所:福岡県田川郡糸田町
座標値:33.661591,130.771770
もともと何に使用されていたのかはわかりませんが、3本の石柱もあります。石柱とともに、「幸神」と刻まれた石塔が三基、「猿田彦大神」と刻まれた石塔が一基あります。
庚申塔の一部は2つに割れているものもあります。庚申塔それぞれは、バラバラに配置されているため、まとめてみると以下の表のようになります。
上からみた配置図は以下のようになります。
実際の写真がこちらです↓
③幸神の庚申塔には「明治廿八年 正月」の文字が確認できます。明治28年は1895年です。
④猿田彦大神の庚申塔には「乙巳年□ 東下□」という文字が確認できます。だいぶ風化が進んでおり文字をすべては確認できません。乙巳(きのとみ)年の上側には、おそらく元号が刻まれていたのでしょう。
③の庚申塔は明治期につくられています。もしかしたら、こちらの猿田彦大神の庚申塔も明治期につくられたのではないかと予想します。そうすれば、明治期で干支が乙巳(きのとみ)の年は、1905年(明治38年)です。
④猿田彦大神の庚申塔には「東下□」という文字が確認できます。東下…に続く文字が気になりますが判読は困難です。「東下組」と刻まれているようにも見えます。
今回ご紹介した庚申塔は、石の色が白くまるでチョークのような印象を受けます。大宮神社が鎮座するのは「宮谷」という地区です。地質図naviを参照すると、このあたりは砂岩や泥岩で構成されています。
一方、この地区から南へ1.5㎞ほどの場所から石灰岩の地質がひろがっています。さらに南側には、麻生セメント工場のある船尾山があり、石灰岩が採掘されています。
庚申塔が泥岩でつくられている可能性もありますが、石の状態をみると石灰岩でつくられている可能性が高いと考えます。