書籍『庚申信仰 (民衆宗教史叢書 第17巻)』の「猿田彦大神の初見塔 」(P214-217)という項を拝読していて、元禄(げんろく)という古い時代に建てられた庚申塔が、飯塚市の撃鼓神社(げきこじんじゃ)に祀られていることを知りました(P216)。
神道系の猿田彦大神庚申塔は、全国的にみると元禄時代には、まだ建てられる割合が少なかったそうです。福岡県の飯塚市や嘉穂郡地方には、そんな早い時代に神道系の庚申塔が広まっていったようです(参照P216)
猿田彦庚申塔はどの時代に登場するのか?
全国的に神道系の庚申塔が広まっていった時期は、いつなのでしょう?「庚申塔の研究」(1959年)によると、猿田彦が庚申塔にはじめてでてくるのが1669年ということです。それ以降、大正時代まで猿田彦大神が庚申塔に刻まれてきたのだそうです。
猿田彦大神が刻まれてきた時代を、西暦で改めてまとめてみると、1669年から1926年くらいまでということになります。
撃鼓神社の猿田彦庚申塔の古さ
西暦で猿田彦庚申塔の歴史をまとめると、飯塚市の撃鼓神社に祀られる猿田彦庚申塔の古さがわかるかもしれません。撃鼓神社の庚申塔は元禄十六年…つまり1703年の建立と紹介されています(庚申信仰 (民衆宗教史叢書 第17巻)P216)
猿田彦が庚申塔に刻まれるようになってから30数年しか経っていないので、やはり、全国的にみても早期の猿田彦庚申塔ということが認識できます。
撃鼓神社の猿田彦庚申塔を訪ねる
実際に撃鼓神社へ行き、元禄時代に造られた神道庚申塔を探してみました。
撃鼓神社境内へとあがる階段の前に、車一台分が駐車できる駐車場がありました。階段をあがると、いくつのも鳥居が弧を描くように配置されています。そのため、どの方向へ行けばよいのか少し迷いました。
しかし、よく見ると奥に拝殿が見えるので、そちらへ歩を進めます。
拝殿の左奥に石塔群が見えました↓ これらが猿田彦大神の刻まれた庚申塔群で、全部で10基ありました。
庚申塔群に向かって左から6番目の石塔が、今回目標としていた、元禄時代に造られた猿田彦大神の庚申塔です。
場所:福岡県飯塚市中
座標値:33.669586,130.673013
ずいぶん痛みが進んでおり刻まれている文字は、「猿田彦大神」が読み取れるくらいで、他の文字は書籍の紹介文がなければ、おそらく読み取れなかったと思います。
ここに刻まれている文字は…
「元禄十六癸未天 謹上猿田彦大神 十一月十八日」
…なのだそうです。
かろうじて「元禄」の「禄」の文字が読み取れたことと、他の庚申塔で「十六」という漢数字が刻まれている庚申塔がなかったことが、この庚申塔を特定できる手助けとなりました。
今回の庚申塔は「福岡県の庚申塔(Google マイマップ)」にも登録しています。